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2007-09-01 00:00
朝青龍問題:日本は「不思議の国」でよいのか
小笠原高雪
山梨学院大学教授
横綱朝青龍の問題は、一時帰国による療養という新段階に進んだ模様であるが、この過程で気にかかったことが一つある。それは、この問題をめぐる議論のなかで、「日本の相撲文化に対する朝青龍の理解不足」に関する指摘がしばしば聞かれたことである。そういう場合の「日本の相撲文化」が具体的に何を意味しているのか、私は正確に承知しない。しかし、それがどのようなものであるにせよ、朝青龍の今回の問題を議論するにあたって「日本の相撲文化」を持ち出すことに、一体どれほどの必然性があるのだろうか。そして、それは賢明な議論の仕方といえるのだろうか。
相撲協会が厳しい処分を下したのは、怪我を理由に休場の許可を得ていた朝青龍が国外でサッカーを行なっていた、という事実に起因していたはずであり、それは「日本の相撲文化」と関係のない問題である。たしかに朝青龍には「相撲界の伝統に反する態度」が何度か指摘されており、その蓄積が今回の処分の背景に存在しているという解説もある。もしそうだとしたら、相撲界はある種の「意趣返し」を行なったことになり、「日本の相撲文化」にとっても決して名誉なことではないであろう。しかし、今回の問題の直接の原因が上記の事実にあったことは明らかであり、議論はそこを焦点とするべきである。
国境を越えるヒトやモノの移動が活発になったからといって、さまざまな国のさまざまな文化が一挙に均質化するはずはない。しかし、文化の相違が誤解や摩擦を生じそうになったときには、それを可能なかぎり普遍的な言葉で説明できたほうがよい。これは善悪の問題ではなく損得の問題である。いわんや今回の朝青龍の問題のように、普遍的な言葉で説明可能なことをわざわざ伝統文化に関連づけて議論するのは、奇妙というほかはない。「不思議の国の不思議な世界」といった印象を広めることは、可能な限り避けたほうが賢明であろう。
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