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2022-02-11 00:00
(連載2)日本には「石原慎太郎」という言論人がいた
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
多くの人が今回の石原慎太郎氏に対するこれらの誹謗中傷に対して、そして目立って批判的な論を展開した左派のオピニオン・リーダーである社民党や山口二郎に対して、批判のコメントを上げている。まず、死者に対してそのような物言いはおかしいというようなものが少なくない。そのような言論が多くの人々の間で共有されていることを見ているだけでも、まだまだ日本人というのは、文化と心を持った人が少なくないなと思える。逆に、そうではない人がいることが、日本人の心を持っている人が多くいるということを際立たせているというのは、なんとなく皮肉な部分がある。
一方、私は、2008年当時「テレビで政治的な立場にかかわらず何を言っても大丈夫な人3人」として「石原慎太郎・田中真紀子・ビートたけし」と名前を挙げたことがある。当時外務大臣でその後民主党に移った田中真紀子氏も、また、映画監督でありながら情報番組「テレビタックル」などで好き勝手に言っていたビートたけし氏と並び、石原慎太郎氏は話している内容や表現は過激でありながら日本人の多くの人がどこか「そうあればいいな」と思っていることを最も過激に話してくれる人物であると認識されていた。
それだけ国民の精神性や情緒を理解していた。そして、その言葉を、人々に届きやすいよう繊細に、端的に、表現していたのではないか。自身が嫌われるなどということは気にせず多くの人のことを考えて話をする。その言葉を咀嚼した時、同じ方向性の人々は何か元気になる。そういう言葉の力を保っていた言論人だったのである。
タブーがあっても、あえてタブーを無視した発言ができる表現力とポジションを確立していた。これは政治家としても活きた。そのタブーがなぜタブー視されているか、そしてタブーの元凶は何か、タブーを破ってしまった場合に何が起きるのか。そういうことをわかっていて、鋭敏な感覚を使って、世の中の変化を察知し、また、その相手がどのような行動に出るのかをしっかりと見ながら、予め布石を打ちつつ多くの人の前で「演じる」ように過激なことを言う。それが政治家としての魅力であった。今、石原慎太郎氏に代わる言論人や政治家がいるであろうか。改めてご冥福をお祈りいたします。(おわり)
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