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2007-08-27 00:00
アジアと隣人づきあいを
湯下博之
杏林大学客員教授
アジアで私が最初に勤務した国はインドネシアで、もう40年近くも前のことであるが、親しくなった隣家のインドネシア人のご主人との話で、今でも忘れ得ないことが幾つかあった。その一つは、日本人は何故隣人づきあいをしないのだろうかという質問であった。彼が言うには、インドネシア人が接する日本人というと、戦争中は軍人が主であり、戦後しばらくは交流がなく、交流再開後はビジネスマンか、大使館の人か、プレス関係者であった。そして、そういう日本とのつきあいは、仕事の上でのつきあいに限られているといってよく、仕事を離れたつきあいとなると、日本人はとかく日本人同志でつきあって、インドネシア人とつきあおうとしない人が多い。日本とインドネシアはアジアの隣人同志なのに、何故日本人は隣人同志のつきあいをしようとしないのか、というのである。私は、言葉の問題とか、日本人にははにかみ屋が多いとか、私なりの説明をしたが、よく考えてみると、どうも日本人の発想の中に、隣人づきあいをしようという考えが弱いように思う。
しかしながら、日本人が昔からアジアで隣人づきあいをしなかった、ということはないようである。例えば、その後私が在勤したフィリピンで、古くからいる日本人や日系人の人達から聞いた話では、第二次世界大戦前のフィリピンでは、大きな都市の目抜き通りには日本人が経営する店が軒を並べていたし、日本人はフィリピン人と隣人として、或いは友人として、親しくつきあっていたそうである。ところが、第二次世界大戦で状況が一変してしまい、戦後、在留邦人が次第に増えた後も、昔のような関係は戻ってきていない。
その理由の一つは、在留邦人の大多数が、企業その他何らかの組織の一員として、数年間といった一定期間フィリピンに滞在し、その後帰国してしまう人達であるため、フィリピンに根をおろして、フィリピン社会に溶け込むということをしないでも、余り支障を生じないということにあるように思われる。最近の日本人は、日本に住んでいる時でさえ、特に都会では、近所づきあいは余りしなくなっているので、それと似たような現象だと言える面もあるかも知れない。
しかし、外国においては、多数の日本人が住んでいて、日本人同士つきあうが、その国の人達とは、仕事を離れたつきあいはしないということになると、その国の人達から見て、気持ちのよいことではないであろう。このことは、日本に住む外国人について見れば分かることである。日本に住む外国人が、日本語を学んだり、日本文化を知る努力をし、日本人とつきあい、日本の社会に溶け込もうとしていれば、日本人社会に好感を与えるであろう。逆に、外国人が、日本人社会とは無関係に、彼らだけの社会を作って、彼らの流儀で行動していれば、日本人社会から見ると好感は持たれないであろう。
このように考えると、日本人全体として見た場合、今後益々交流が深まるであろうアジアの人達と、どういうつきあい関係を築いて行くかということを、真剣に考える必要があると思われる。この問題をおろそかにしておくと、アジア諸国に滞在する日本人にも影響が出て来ることが懸念されるのみならず、今後、中国を含めてアジア諸国間の交流や関係が深まって行く中で、日本人だけがしっくりといかないといったことにならないか懸念される。
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