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2022-01-18 00:00
産業政策とユニオン形成
池尾 愛子
早稲田大学教授
アジア開発銀行『アジア開発史:政策・市場・技術発展の50年を振り返る』(2020)を読み通すと、政策思想的には、アジアにおける産業政策アプローチと「ワシントン・コンセンサス」批判が浮かび上がる。「ワシントン・コンセンサス」は、1989年に、ラテン・アメリカの政策アジェンダを定式化するために、ジョン・ウィリアムソンがバックグラウンド・ペーパーとして10項目(財政規律、金利自由化、輸入・海外直接投資の自由化、国有企業の民営化、規制撤廃、財産権の保護など)にまとめて発表したものに端を発する。そして、新自由主義や市場原理主義と同義に扱われることもある――ウィリアムソンは反発して抗議しているが、無視されてきたようだ。
アジア、特に東アジアは、戦後の「開発」あるいは「経済成長」政策が成功をおさめた地域とみなされている。ウィリアムソンは、韓国や台湾では自由放任政策はとられず、ワシントン・コンセンサスの例にはあたらないとしながら、これら新興工業経済では、産業政策、指導的信用供与、輸入保護よりも、分別ある財政、高貯蓄率、勤労倫理、競争的為替レート、教育政策の方が効果的だったとした。産業政策の起源は、チャルマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』(1982)、さらにはウィリアム・ロックウッド編『日本経済近代化の百年:国家と企業を中心に』(1966)での研究まで遡ることができ、日本の制度調整および成長促進型の経済政策にたどりつく。
ただ、『アジア開発史』では、ジョセフ・スティグリッツの「国家、市場、発展」(UNU-WIDER、2016)、スティグリッツとジャスティン・リン(林毅夫)編『産業政策革命』(全2冊、2013)があがっている。国家による制度調整および成長促進型の経済政策を、産業政策と呼んだといえる。国家が、国際環境の変化に対応して国内の制度・政策を調整するモデルであり、経済発展に必要な国内機関を設立してゆくものである。中国や東アジア、そしてアフリカ諸国にも適用できるものとして議論されている。とはいうものの、『アジア開発史』では、日本の経済発展(明治以降の近代化と戦後経済再建)の経験が参照された(それゆえ、日本経済史研究者にぜひ一読してほしい)。そしてアジアの途上国において、市場、法律、規則などの制度やインフラを整備し、人材を育成し、学習能力を育てて、技術や技術革新を進展させる「産業政策」が行われてきたとする。換言すれば、経済主体のインセンティブを考慮して、市場を整備したり技術革新を推進したりする方向の「産業政策」が精力的に行われてきたわけである。また国際機関や二国間による開発融資や公的部門に対する技術援助の効果も大きかったとされる。(有効期限を過ぎたコロナワクチンがアフリカ諸国で廃棄処理されているのを見ると、保健に携わる公的部門がよく機能していないと感じられる。)
戦後の欧州の政策担当者たちの対応とは対照的な部分があることは確認する方がよいように思われる。西欧では市場や法律が整備されていて、経済発展よりも、競争力強化が課題であったのであろうか。欧州経済協力機構(OEEC、1947年設立)加盟6ヶ国が、欧州での経済統合を先導し、ブレトンウッズ体制にひびが入ったころから、通貨安定を目標に国家間で協力するユニオン構想が始まっている。ヨーロッパの国際的ユニオン(union)は、日本語では同盟や連合と訳し分けられているが、加盟国政府が協力しあって形成され運営される。共通通貨を導入した地域では、国家間協力のための更なるユニオン形成が唱えられ、収斂(convergence)が目指されている。最後に、宗教的多様性に富む地域では、イスラム金融など特別な配慮がなされており、マネタリィ・ユニオンの話は出にくいことは知ってほしいと考えている次第である。
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