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2022-01-15 00:00
(連載2)現代に緊急事態条項は必要か
倉西 雅子
政治学者
このように、人類史を振り返りますと、有事に際して、国民の自由や権利の制限、並びに、報国の義務化を伴う全体主義型の国家体制にシフトさせる事例は存在するのですが、憲法改正に同条項を加えるべきかの議論にあたっては、様々な観点からの慎重な考察と検討を要するように思えます。
そもそも、現行の日本国憲法において緊急事態条項を設けていない主たる理由の一つは、憲法第9条にあるのかもしれません。日本国が戦争状態に至る事態を想定していないため、敢えて同条項を設ける根拠や理由がなかったのでしょう。しかしながら、今日、憲法第9条は、政府解釈を含め、正当防衛権としての自衛権までは放棄はしていないとする解釈が凡そ成立していますので、将来において防衛戦争がないとは言い切れません。可能性がある以上、同条項を設けるべきとする意見には一理はありましょう。
その一方で、(1)現代という時代、あるいは、人類の経験知に照らして有事における体制転換は必要なのか、必要であるとすれば、(2)有事型の体制は一人の指導者に権力が集中する独裁型であるべきなのか(別のアイディアや仕組みがあっても良いのでは…)、(3)有事にあって国民の基本的な自由や権利の制限はどの程度まで許されるのか、(4)戦争以外の災害や感染症などにも対象を拡大してもよいのか、(5)発令に際してどのような要件や手続きを定めるべきか、(6)緊急事態宣言や非常事態宣言を民主的に制御する安全装置をどのように設けるのか(有事体制の平時化の防止と国民による解除の保障…)(7)有事体制に一定の期限を定めるべきか(共和制ローマでは1年間に限定…)…といった疑問が湧いてきます。
憲法改正の議論にあって、緊急事態条項導入について論じることはやぶさかではないのですが、同条項が、事実上の全体主義体制への転換リスクをも含意するだけに、その今日における存在意義や現代的な危機管理の在り方、そして、国民の自由や権利を擁護するための細かな制度設計等を詰めることなく、曖昧のままに導入の方向に流されることだけは避けるべきように思えます。気が付いた時には、『1984年』の世界の住人にされていた、ということにもなりかねないのですから。(おわり)
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