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2021-11-21 00:00
現代中国の盲点十論:今回の中共中央決議は「第3の歴史決議」ではない
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
11月11日、中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(第19期6中総会、以下「6中総会」と略)が予定どおり閉幕し、コミュニケが採択された。コミュニケによれば「党の百年奮闘した重大成果と歴史的経験に関する中国共産党中央の決議」が採択されるとともに、来年下半期に中国共産党第20回全国代表大会(二十全大会)開催が決定されたが、事前に報道された党や軍の人事異動はなかった。小生は過去の拙稿の中で、今回の決議が「果たして党内外の議論は十分に尽くされたのか、まだ議論が足らず採択は来年の7中総会までずれ込む可能性もある」と倦まず指摘してきたが、予測は見事に外れ採択されてしまった。しかしながら、翌12日に開かれた6中総会に関する記者会見(昨年10月の5中総会から実施)の内容や、閉幕5日後の16日に公表された習近平党総書記の決議説明と決議全文をあらためて読んで確信した。これは毛沢東と鄧小平の時代に2回採択された歴史決議とは全く異なる決議であり、習総書記による最初の「新時代の歴史経験決議」であると見なすべきである。以下、その理由を述べていこう。
先ずは得意の「後出しジャンケン」としか思えない習総書記の決議説明の内容である。そもそも8月31日の政治局会議で、初めて言及された「党の百年奮闘した重要成果と歴史的経験の問題」が6中総会で議論されるとされ、内外のメディアで過去の「歴史決議」に相当する新たな文書が作成されるのではないかとの観測が流れていた。しかし、習総書記は、既に年初3月の政治局会議で決議起草小組設置が決定され、組長に習総書記自身、副組長に理論ブレーンの王コ寧(政治局常務委員ナンバー5)と趙楽際中央紀律検査委員会書記(同ナンバー6)が就いていたと初めて公表したのである。そして4月1日に決議に関する意見聴取を通知し、同9日には起草小組の初会議が開催され、6中総会まで通算3回の会議があったという。事実を確認すると、3月30日の政治局会議は中部地域発展計画の討議であり、決議起草部門の創設という重要事項の発表はなく「その他事項を討論した」という言及しかない。本年最大のイベントであった7月1日の中国共産党創立100周年祝賀式典や、習自身の記念演説と決議が被るのを嫌ったのであろうか。また、起草小組首脳の内訳であるが、6中総会で決議に関して自ら説明したのが習組長であったことは納得したが、副組長に何故、趙楽際(党内人事担当の組織部長経験者)を就けたかが疑問である。公式報道で全く確認出来なかったが、決議作成のために政治局常務委員会も2回開かれたと公表されており、その内部序列への配慮であろうか。
8月末の政治局会議後の9月6日、決議の意見稿が漸く発布され、同10日に党外人士座談会で意見聴取が行われたことは6中総会の閉幕翌日の11月12日に初めて公表された。やがて10月18日の政治局会議で6中総会の11月開催が予告され、そこから開幕の8日までは半月程度のリードタイムが存在したが完全にスルー、ここから決議採択までの時程は驚くべきものであった。11月8日午前の習総書記の決議説明を受けて午後から党中央委員会メンバーら数百人は10個のグループに分かれて討論稿を議論し、10日晩の政治局常務委員会の審議を経て閉幕日11日午前に「決議草案」完成、これを午後にスピード採択したというのだ。40年前の1981年6月、鄧小平が採択をリードした「第2の歴史決議」草案は前年から党内理論家(極左派の鄧力群主導)によって起草され、党幹部・軍幹部ら4,000人を動員して行われた討論会を経て採択された事実と比べて、今回の決議は何と安易に、かつ手軽に採択されたものであろうか。
最後に決議の内容をみると、内外の大多数のメディアが毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦涛と習近平への言及回数を比較し、習自身への言及が多く「権威強化を一層加速」としているが当たり前のことであろう。今回の決議は、中国共産党の「2つの確立」、すなわち習近平の「党中央の核心、全党の核心地位」と「新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導的地位」を確立するために急遽作成されたものであり、過去100年の党の歴史の成果と長所を巧みに利用した自画自賛文書にすぎないからである。この目的達成のため、過去2回の歴史決議と決定的に違うのは、1921年以降の年数・年代を敢えてぼかして「時期」とし、2012年以降僅か9年間(十八全、十九全という2回の党大会経過)にすぎない習自身の治世を今後、際立たせるための「新時代」を採用したことである。だから1981年以降40年間における過去6回の党大会(十二全、十三全、十四全、十五全、十六全、十七全)を「十把一絡げ」に扱うという愚挙を犯している。ちなみに、今回の決議は1949年の中華人民共和国建国直後の第8回党大会(八全)へ言及しながら、文化大革命の混乱下で開催された党大会(九全、十全、十一全)にも全く言及しておらず「一体何の歴史決議か」とさえ思われ、中国現代史への暴挙と言えよう。何故内外のメディアは、こうした事実を指摘、批判しないのであろうか。
したがって小生は、今回の6中総会の主眼は習近平の「新時代の歴史経験決議」の採択より、来年下半期に開催が決定された中国共産党の第20回党大会(二十全)であったと考える。早くも11月18日には党大会代表2,300人の選出準備が通知され、翌19日には党中央組織部から趙克志公安部長の公安部党委員会書記の兼職解除(後任は王小洪・公安部常務副部長)が発表されたことから、今後、党・政府・軍機関や地方の人事異動も活発化していくであろう。他方、習総書記は6中総会を経た11月15日、3回目の米中首脳会談に臨み、18日には政治局会議を主宰し、初の「国家安全保障戦略(2021-2025年)」を審議した。その内容はまだ明らかでないが、恐らくQUAD、AUKUSを推進する米国や日本等の安保戦略を意識したものではないか。また19日、習総書記は2018年以降3年ぶり開催の第3回「一帯一路」建設座談会に出席、その継続を強調して海外から風当たりの強い国際構想貫徹の姿勢を明らかにしていることから、その言動が注目される。
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