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2021-11-04 00:00
(連載2)戦争の放棄は真の平和主義か
倉西 雅子
政治学者
それは、真に平和を実現しようとするならば、実を申しますと、戦争の放棄よりも紛争の平和的な解決手段の整備の方が遥かに効果的ということです。今日にあっては、私人間で争いごとが起きたとしても、それを自力救済や私闘で解決させる国は殆ど存在していません。それを容認すれば、戦うことを諦める民が平和から遠のくことは容易に想像がつきます。これが統治機構のレベルになればそれは乱世です。故に、時代ごとの支配者は秩序を保つために紛争の解決手段を独占し、決闘や果し合いによる解決は遠い過去のものとなりました。現代の統治システムでは争いごとは裁判所等を介した司法解決が制度化されています。
国家レベルと同様に、国際社会にありましても、戦争を真になくそうとするならば、先ずもって平和主義者が努力を傾けるべきは国際レベルでの司法制度の整備であると言えましょう。つまり、紛争の平和的な解決手段が制度として備わっていれば、人類は、戦争に訴えなくとも国家間の争いを解決に導くことができるのです。
例えば、国際司法裁判所の訴訟手続きを見ても、当事国の合意を要します。このため、明らかに国際法違反の行為であっても、被害国は、単独で訴訟を起こすことができません。竹島問題が国際司法によって解決できないのは、これによります。また、領有権確認訴訟の形態が実現すれば(もっとも、現行の制度でも、常設仲裁裁判所では可能かもしれない…)、尖閣諸島問題も平和裏に解決することできます。また、グローバル化した時代にあっては、テロ組織や国際犯罪組織などの非国家主体をも国際法廷において裁く仕組みが必要となりましょう。
この観点からしますと、真の平和主義者が内外に対して積極的に訴えるべきは、国際レベルにおける平和的な紛争の解決手段を可能とする司法制度の拡充であるはずです。平和的な解決手段が整っていない状況下における戦争の放棄は、無責任、かつ、危険に満ちた主張であるのですから(この点、核兵器禁止条約などにも同様の欺瞞が見られる…)。9条を象徴化する消極的平和主義の方々には、早くに非現実的な思想から脱却し、真の平和主義とはなにかを再考していただきたいと思うのです。(おわり)
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