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2021-10-30 00:00
「7月7日は七夕」だけでは教養足らぬ
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
中国国民にとっては耐え難い屈辱的戦争の始まった日でもあったから、かの国に居る我が同胞たちはこの日ばかりは目立たないように配慮する必要がある。「中国当局は18日までに、ソニーグループの中国法人に対し、広告法違反で100万元(約1780万円)の罰金を科したと発表した。ソニーが盧溝橋事件が起きた日の7月7日に新製品の発表会を予定していると発表したことが、国家の尊厳や利益を損なった、とした」(2021/10/19朝日新聞)。1937年7月7日の夜間、北京市(当時は北平(ペイピン))西南方向の「盧溝橋」で日本軍と中国国民革命軍第二十九軍とが衝突した事件。それまで日中間で一応の抑制を効かせていた歯止めがついに破綻した、それが盧溝橋事件であった。
Sonyがいつから中国ビジネスに手を染めたかは知らないが、すでに同社は花形企業であったから、日中国交回復後の早い時期であったろう。とすれば早くも50年近く経過することだろう。その年月の間に十分相手を知り、自分も知ってビジネス親交を深めてきたに違いない。それなのにこの初歩的ミスはどうしたことか?思うに、この40余年の日中の交流の中で、金額ばかりが増加した経済関係で、それとは裏腹にその中身の質が悪化していったのではないか?
日中両国の間に平和条約がまだ無く、国交のない状況の中で属人的信頼関係に依拠して手探りで始めた日中経済交流、「LT貿易」として1962年 11月9日に中国代表の廖承志(L)氏と日本の民間代表である高碕達之助氏(T)の間で北京で取決めた覚え書に基づく日中総合貿易として手探りで始まった日中経済交流。こういう先人の苦労の末に、田中角栄・周恩来両首相による日中国交回復という核心的政治・外交関係へと発展し、今や往復3,401億9,478万ドル(2020年JETRO統計)に及ぶ経済交流にまで発展した日中関係だ。
そんな歴史の有ったことなど意に介さない商社マンたちがあろうことか「7月7日」それも「夜に」北京で新商品発表会をやるようになる。こういうぎくしゃくの元をたどれば、日本における歴史教育の不在か、不完全としか言いようがない。イデオロギーで教育を支配してしまうとこういう基盤的知識を失ってしまう。おそらく若い企業マンがめでたい七夕に祝祭的行事を企画したいうただそれだけのことだが、こういう時に歴史を知らないためのボロが露出してしまう。教育には不易流行というべき基礎基本があるということ。国際化の時代にはそれが必須の教養であることを確認しておかなければならないという好例である。
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