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2021-08-17 00:00
(連載1)アフガン情勢は冷静に深層の観察を
倉西 雅子
政治学者
昨日、8月16日、アフガニスタンの首都カブールは、凡そ20年の時を経て再びイスラム過激派武装集団であるタリバンの手に落ちることとなりました。米軍の撤退と同時に起きたために、アメリカ政府は否定するものの、ベトナム戦争時におけるサイゴン陥落の再来とする見方もあります。カブール国際空港では、タリバンによる恐怖政治の再来から逃れるべく、国外脱出を目指す大勢の市民が殺到し、地獄絵と化したとも報じられております。
7名の死者も報告されている同報に接し、さぞや悲痛な面持ちで人々が空港の滑走路に押し寄せているのであろうと想像したのですが、その様子を映した映像を見ますと、どこか違和感があるのです。何故かと申しますと、飛行機に伴走して走っている大勢の市民の中には、カメラに向かって大きく手を広げてアピールしている人の姿も見受けられるからです。仮に、命からがらタリバンから逃げようとしているならば、カメラなど目に入るはずもなく、必死の形相となるはずです。しかしながら、少なくとも同映像からは、危機に瀕しての緊張感、あるいは、臨場感というものが伝わってこないのです。
もちろん、同動画が全てを語っているわけではなく、諦めの境地に達した人々の表情なのかもしれません。しかしながら、今般のタリバンの復活に関しては、その深層に迫る慎重な観察を要するように思えます。そもそも、タリバンという存在自体が、謎に包まれているからです。
アフガニスタンにおけるイスラム系武装勢力の起源を遡りますと、1979年のソ連邦によるアフガン侵攻に際して結成され抗ソ組織にあります。その代表格がムジャヒディーンであり、アフガニスタンからのソ連軍の追放を目的としていたため、冷戦期にあってソ連邦と対峙していた米CIAからも軍事的な支援を受けたとされています。(つづく)
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