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2021-07-02 00:00
(連載1)「国論の二分化」が、日本を前進させる
岡本 裕明
海外事業経営者
五輪を巡る論争をもって「国内を二分する」といった表現を目にすることがあります。世の中に論争は絶えないのであってコロナと五輪が日本を分断したような風にも取れそうな報道も時としてありますが、それを論じる前に日本の歴史的背景をもう少し考察してみたいと思います。
二分化する日本とは今日に始まったことなのか、と言えば否であります。ずっと以前から日本は様々な事象に於いて対立軸を抱えていました。よって特別のことでもないし、五輪を巡る話題については9月になれば結果を受けて白黒がはっきりするわけでその時のフローチャートも大体、頭に描けるようになっています。議論をするのは人間の特徴であって古代ギリシャ、ローマ時代からずっとあったことです。つまり、人間は所属している大集団、例えば国家や地域住民がある事象に対して同一の考えで行動することは意図せずしてはまずありません。常にAとBという人やグループが生まれます。これは単純化しているモデルなのでもちろん、CやDという人もあります。また時としてAでもBでもない中間層を時の世論が引力のように吸い込み、マジョリティを作ることもあります。
一方、意図しないのに強要させられたのが先の大戦だったと思います。全体主義とか軍国主義となると国家総動員になりますので個人の考え方を無視し、処罰し、完全な画一的方向性を作り上げ、驀進させます。中国の文化大革命もそうで、大方針に逆らう者がいれば見せしめ的な処罰を行い、恐怖政治を断行するわけです。しかし、これは人間の本質に蓋をした状態であります。またオウム真理教のようなマインドコントロールというのもあります。これは人が精神的に弱っている時、悩んでいる時などにその人の心の隙間に幸福や安楽といった言葉で巧みに侵入し、いつの間にか虜にするものです。これも健全な人間が健全な判断をしていない点で今日の論点からは除外されるべきものと思います。
では日本の二分化はどんな時に起きたのでしょうか?与党と野党という点だけを見ても野党は与党のすべてを否定し、批判、非難し続けています。時として「やけくそで言っているだろう」と思うケースもありますが、そもそも与党が嫌いというスタンスであって論争を呼ぶ案件で歩み寄る姿勢はないのです。朝日新聞も与党を受け入れるとか安倍前首相にケースバイケースで同意するということは微塵にも思っていません。(つづく)
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