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2007-07-27 00:00
日米間の相互理解不足による摩擦拡大の反省
湯下博之
杏林大学客員教授
前回6月22日付の当政策掲示板への投稿にて、私は、1970年代の日米間の貿易収支不均衡問題が、全体的な状況の把握に基づいた相互協力による取組みではなく、米側の思いつき的な要求とこれに対する日本側の個別案件処理的な対応という形をとったことを述べたが、今回はその結果について取り上げる。
前回も記したように、もともと米側の要求そのものが、それを受け容れれば、それで問題が解決するというようなものではなかった。しかし、それならば、日本側として別の提案をするということもなかった。「米国経済がくしゃみをすると、日本経済が風邪を引く」と言われていた日本経済であったにもかかわらず、米国経済が悪寒を感じている状況下で、日米両国が協力して総合的に問題に取り組むという形にはならなかった。更に、悪いことには、そのような形で米側が次々と要求を出し、日本側が一旦否定的な反応を示した上で、或る程度応じるということが続いたことは、相互に不満とフラストレーションを生じさせることになった。
米側からすれば、日本は、米側が困って、問題解決のために日本側に協力を求めても、積極的には協力しようとせず、問題は一向に解決しない、日本はけしからん、ということになる。他方、日本側からすると、米国は、次々と勝手な要求を出してきて、日本が多大の困難を経て何とか対応すると、これだけでは問題が解決しないので、もっとこれをやれと言って、また新しい要求を出してくる、米国はけしからん、ということになってしまう。
この状況を、当時の米国とソ連との間の核問題をめぐるやりとりと比べてみると、顕著な違いがあると感じられた。当時は、米ソ間のデタント(緊張緩和)の時代で、SALTとかABMといった核軍縮交渉が行われていたのであるが、核の問題をめぐっては、米ソ間で厳しいやりとりがあった。しかし、一歩間違えば国が滅びかねない深刻な問題であったにもかかわらず、或いは、それ故にこそと言えるかも知れないが、米ソ間のやり取りには、いわばその土俵があって、その土俵の中で争っているという感じであった。ところが、貿易収支不均衡をめぐる日米間のやり取りは、「イーコール・パートナー」といわれ、緊密な関係が謳われていたにもかかわらず、土俵のない、かみ合わないやり取りといった感じがあった。
このやり取りを見ていて、相手を知る、或いは相手の立場を理解することの大切さ、並びに、相手との関係における自分を知ることの大切さを感じたのであった。そして、この貿易収支不均衡は、その後、単なる貿易摩擦の範囲を超えて、安全保障の問題にまで響きかねない日米両国間の摩擦になったのであった。この経験は、アジアとの関係でも参考になると思う。
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