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2020-11-16 00:00
「フィンランド化」は死語か
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
昨年11月末に死去した故中曽根康弘元首相(享年101)の出身地である群馬県高崎市で県と市による合同葬が12日、営まれた。式典では山本一太知事が「外交で日本の地位を向上させた」とし「戦後日本を代表する名宰相」と式辞を述べたという。確かに国際政治学の泰斗H.キッシンジャー博士に学び、その弟子である桃井眞氏をブレーンとした中曽根元首相の評価は高いと言えよう。しかし、中曽根元首相には失言もあり、その典型的なケースが「フィンランド化」(フィンランダイゼーション)という言葉であった。今を遡る37年前の1983年6月3日、参議院選挙の街頭演説で中曽根首相(当時)は「日本は何もしないでいるとフィンランドのようにソ連のお情けをこうような国になってしまう」、「うっかり手を出したらひどい目にあうという状態にしておかないと平和は守れない」と述べ、在日フィンランド大使館から注意喚起を受けたのだ。
翌1984年、陸上自衛隊幹部候補生学校に入校した小生は戦史の授業で「ソ連・フィンランド戦争」を学ぶ機会を得た。1939年の独ソ不可侵条約の締結によって、ソ連はフィンランドを勢力範囲とすることを認められ、スターリンは領土併合を目論んで侵攻を始めた。しかし、フィンランド全土をあげた頑強な抵抗(特に卓越したスキー活用・狩猟技術によるモッティ<包囲>戦法)にソ連軍は苦しめられ、10%の国土割譲を条件にソ連とフィンランドは講和した。やがて1948年、フィンランドは「友好協力相互援助条約」をソ連と締結し、独立及び議会民主制・資本主義の維持を引き換えにソ連に協力することになった。これが「フィンランド化」の実態である。果たしてフィンランドはソ連の忠実な属国だったのか、あるいは徹底的に抗戦して名誉ある独立を保った国家だったのか、小生は後者であったと考える。
21世紀に入った現在、ソ連という国家はもう存在しないし、米ソ冷戦も終結した。フィンランドはEU加盟を果たし親日国でもある。しかし、「フィンランド化」という言葉は死語ではない。11日付の拙稿で指摘したように、「QUAD」という概念とともに、国際情勢認識における日本及び日本人の「盲点」を浮き彫りにするキーワードであると思う。
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