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2020-09-11 00:00
ワシリー・レオンチェフと投入産出経済学
池尾 愛子
早稲田大学教授
ニュージーランドのアラン・ボラードは『戦時の経済学者達』(2020年)において、ワシリー・レオンチェフ(1906-1999)について、1つの章を設けたほか、他の章でも他の登場人物と関わらせて登場させた。レオンチェフは出生地が自身も信じていたロシアではなく、ドイツであったことがつきとめられるなど、晩年から研究対象として注目されてきたようだ。革命や戦争の時代を生き抜いてきた人々を研究する際には、繊細な注意が必要である。同書を読んでいて気になったことを書き留めておきたい。
著者ボラードは、レオンチェフについて書くにあたって何本かの学術論文を使っている。レオンチェフは戦時中、1943-5年に所属大学を2年間離れて、動員解除後の労働力の動向を予測したり、ロシア語が読めることから(同盟国)ソ連経済についての研究を手伝ったりしていたこともわかっているようだ。まずそこで気になったのが、ボラードが「レオンチェフは敵国の構造的弱点(輸送船による産業連関の確保など)をつかむための研究チーム(1941年)にいた」と書いていることである。同書には、脚注も巻末注もなく、割注が少しあるだけである。どの研究文献が明らかにしたことなのかをつかむことができないのである。それとも大勢の経済学者たちが動員されていたので、「周知の事実」となっていることは情報源を提示しなくてもよいと考えているのであろうか。とすれば、同書から最も衝撃を受けるのは日本の若手社会科学者たちかもしれない。
次に、ワシリー・レオンチェフ(Wassily Leontief)とア・レオーンチエフ(A. Leont’ev)の関係である。ア・レオーンチエフは1935年にロシア語で『政治経済学』と題する書物を出すなどしている。和訳は『マルクス主義政治経済学入門』、英訳が Political Economy (政治経済学)と題して出版されている。岩波の『世界人名大辞典』によれば、「Leontev, Lev Abramovich」と綴られ、「1901-1974。ソ連の経済学者。科学アカデミー準会員。社会主義経済および資本主義経済についての原論的な著述が多い」と記されている。ワシリー・レオンチェフはア・レオーンチエフと同一人物ではないかと混同されることがあったようだ(随分前になるが、私自身聞いたことがある)。ボラードは、「レオンチェフはその著者は同姓の全くの別人であることを喜んで証明した」と書いている。ワシリー・レオンチェフは『ア・レオーンチエフ』とは別人であると、アメリカにおいて関係者を完全に納得させることはできたのであろうか。
最後に、ワシリー・レオンチェフと日本人経済学者たちとの関りが描かれていないのが奇妙である。戦前には、都留重人がボストンにいた。ボラードが参照した『ワシリー・レオンチェフと投入産出経済学』(英文、2004年)と題する記念論集の冒頭で、P・サミュエルソンが都留の名前を挙げている。『ワシリー・レオンチェフと投入産出経済学』には4人の日本人経済学者が寄稿しているが、ボラードは触れていない。ノーマン・マクレイが伝記『ジョン・フォン・ノイマン』(英文、1992年)において、1940-1年に角谷静夫がプリンストン大学で出席したノイマンの授業について書かなかったのと同様の奇妙さを感じる。2020年8月30日の本e論壇「ジョン・フォン・ノイマンと日本」では明記しなかったが、ボラードはマクレイ著『ジョン・フォン・ノイマン』からMプロジェクトに関する話をかなり集中して取り上げたのである。
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