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2007-07-07 00:00
久間章生前防衛相は辞任して当然だった
伊奈久喜
新聞記者
久間章生前防衛相の発言を擁護するかの意見が散見される。これには賛同できない。久間氏は辞任して当然だった。
第一に、原爆が戦争終結を早め、本土決戦が避けられ、結果的に多数の日米双方の命が救われたとする議論は、世論調査を見る限り、米国でも韓国でも多数説である。久間発言が仮にこの趣旨であれば、擁護に値するかもしれない。しかし問題になった発言は、ソ連参戦と絡めたもののようにも受け取れる。そうであるとすれば、米国史の修正主義者(リビジョニスト)の意見に近いように見える。原爆をその後の冷戦の文脈で意味づける議論である。国際的に多数の支持を得られる議論ではない。日本国内でも支持が得られない。
第二に、リビジョニズムであれなんであれ、久間氏が歴史家であれば、言論の自由との反論ができる。しかし選挙を前に右も左も怒らせる発言をしてもマイナス以外の結果にはならないとの判断が働かないだけで政治家失格に近い。だから久間氏は批判され、自身もこの点に気づき、辞任したのだろう。
第三に、久間氏は既にイエローカードが出ていた。その事実を忘れていたことが問題だった。失言し、釈明する繰り返しに嫌気がさすのは誰よりも自衛官たちだろう。信頼性を欠く政治家に軍に対するシビリアンコントロールを期待するのは難しい。
以上のような常識的な議論に対して抗うのは難しいと判断して久間氏はやめたのだろう。防衛相にとって重要なのは、実力部隊を統率する信頼性であり、それが求められるのは防衛相のほかは首相だけである。筆者は久間氏の一月の一連の失言の後、一日も早く更迭すべきだと書いた。安倍首相はこうした意見に耳を傾けなかったために傷が広がってから辞任を受け入れる結果になった。
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