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2007-07-03 00:00
久間防衛大臣の発言に賛同する
小山清二
特許庁・審判官
久間章生防衛大臣が、2007年6月30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、「原爆を落とされて長崎は悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないと思っている」と述べたことで、日本全国が騒然となっている。この原爆投下を正当化する発言の影響は大きく、この話題に対し国民の9割以上が批判的であるようだ。久間発言は、米国政府の見解そのままであることに、多くの日本人が反発しているものだ。しかし、当方は、この久間発言の内容に賛同するものだ。国民自身の意識変革への転機になるものと思っている。真実を語って国民がどのように受け取っていくかが重要であり、感情論を超えて正しく総括出来ないようでは、何時まで経っても戦後は終わらないと思う。
確かに、長崎、広島への原爆投下は、それ自体は残虐非道の行為ではあるが、戦争が長引いて行った場合の残虐性と何れが残虐なのか、何れも残虐性に大した変わりはないものだ。原爆・放射能による大量虐殺は残酷だが、それ以外は残酷ではないというのは、情緒的で偏狭な見解である。戦争による死には、火炎放射器や地雷、毒ガス、爆弾の如何を問わず、何れも残酷であり、むしろ戦争自体が残酷性を伴うものである。それを承知で戦ったものであり、途中の一シーンだけをとらえて残酷だと言ったところで始まらない。戦争は時期が来れば次第に沈静化し終了するという甘いものではない。もしも原爆投下がなかったならば、タイミングを見出せずに、天皇陛下の戦争終結に向けた聖断もなかったものと思われる。そして、日本の降伏が遅れれば、ソ連軍は北方領土を超えて、北海道や東北日本全体に侵攻してきて、国土全体が分割支配される事態に立ち至った可能性は高い。
結果的には、開かれた民主国家の米国単独による占領・支配に終わったことは、日本にとっては、非常に幸運であったと総括出来る。しかし、これはあくまでも結果としての総括であり、何も最初から、無条件、無原則的に、原爆投下に賛同し、容認するものではない。なお、原爆投下は、現在の国際環境下における核兵器保有の是非を巡る論議と絡めることが大切であろう。当方は、周辺諸国が保有し、日本の安全を脅かしている以上は、核兵器保有は当然であり、核兵器保有の効果として、戦争抑止、攻撃に対する対抗・報復、戦争終結を早める効果などを強調するものである。総括すれば、原爆投下は、その後のソ連軍の北海道侵攻の可能性を排除出来たことや、その後の日本が米国単独支配下で戦後の高度経済成長を達成出来たことなどを考えれば、仕方のなかったことであり、結果的にはプラスに働いた要因が大きく、正に災いを転じて福となしたというものであった。
日本人は、概して近視眼的で、短絡的・情緒的な思考に陥りやすい国民性のように思われる。大東亜戦争に関して、日本人全体が総括すべきことは、原爆投下の是非を巡る論争を超えて、原爆投下による多大な犠牲者を始め、戦争全体の犠牲者や英霊達の、苦怨・苦痛に満ちた霊魂を、慈愛の心をもって慰謝し、供養し、救済していくことであろう。原爆投下については、米国に感謝するとか、米国に怒りをぶつけるとかの次元ではなく、ただひたすらに国民が一体となって、戦争犠牲者達の慰謝と救済に努めることこそが大切であろう。それが国家発展の堅固な基盤となり得るのである。
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