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2020-06-18 00:00
(連載2)報道における公平とは何ぞや
緒方 林太郎
元衆議院議員
そして、実際には放送法は「公平」を求めているわけですが、それはすべての関係者を平等に扱う事ですから、一定のルールの下、賛否色々な人を番組に出して意見を戦わせる事で良いはずです。ここで重要なのは「一定のルール」です。何を土台に平等扱いするのかという点は非常に重要なポイントです。私は「虚偽を排し、多様な視点を取り上げる」というのが土台だと思っています。
BREXITの時、英国の報道関係者はこの「中立」と「公平」という観点から悩みに悩みます。離脱派の理屈には明らかに嘘が紛れ込んでいました。「EUから抜ければ、分担金を払わずに済む。それをすべて国民保険に振り向けて充実させる。」と主張していました。普通に考えれば「たしかにEUに分担金払っているけど、EUから補助金を貰っている。その差額は?」となるはずです。英国の報道関係者はかなり悩んだようですが、最後は嘘と知りつつも排除する事はせず報道していました。これはどちらかと言えば「中立」に近いです。どの国にもこの手の苦悩というのはあるものです。
報道における「中立」を主張するのは、その背景に「良い所どり」を企図する場合が多いです。「中立」を部分的に取り出して、①自分の気に入らない見解を排除する、②真実でない見解を流す、という目的に使われている事が多いように見えます。本当に中立を実現しようとしたら、「恐らくはあなたの意見も排除されますよ」という事なんですけどね。
報道関係者は「公平」とは何ぞやを真剣に考えるべきであり、また、不当に中途半端な「中立」の要求を撥ね退ける気概は持ってほしいです。(おわり)
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