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2020-05-17 00:00
天野為之と取引所改革
池尾 愛子
早稲田大学教授
天野為之(1861-1938)は明治期に活躍した経済学者であり、また経済ジャーナリストでもあった。もちろん当時、こういう活躍スタイルはそれほど珍しいことではなかった。彼は1900年頃から、取引所批判を手厳しいまでに繰り広げた。彼は、「取引所が一獲千金を狙う者たちの賭博場になっている」、「取引所は勤倹貯蓄の敵である」とした。彼は欧米の取引所にあってもカジノ的弊害がみられるものの、取引所本来の機能を果たしているのに対して、日本の取引所はそうは言い難いとして、早急の改革を求めたのであった。
天野たちは歴史も振り返った。「日本の取引所の淵源とされた堂島米会所」の沿革を兼松房太郎(大阪米穀取引所元重役)からの聴取りによってたどった。そして、空取引が米価を引立てる(過度の下落を抑える)ための帳合米取引に端を発すること、差金取引・空米取引はしばしば賭博と同様にみられていたことを見出した。諸大名が大坂に蔵屋敷を持ち、参勤交代の費用に充てるために御用達が行われ、米会所でまず正米取引が始まり、正米引立てのために空米取引が始まった。弊害が大きくなっていったんは禁じられたが、大岡越前守が大坂町奉行として赴任した時に嘆願書が出され、改革の条件付きで遂に再興を許されたという。江戸時代には幕府の威力・干渉があったが、明治時代の取引所は「取りも直さずその時の帳合米すなわち空米売買というものの形だけを保ってきた」とされた。
天野たちは企業監査役の役割にも注目し、公共監査所または公共監査機関の設立を唱えてゆく。現在の公認会計士制度につながってゆく提案である。日本の金利は、欧米諸国の金利より高めにもかかわらず、資金が流れこまないのはなぜか。天野はその原因を「会計監査の方法朴撰にして信用すべき決算報告なく、信用すべき考課もなく、従って信用すべき株券なき」ことにあると分析した。取引所が賭博場になる原因でもあると考えらえた。
江戸時代、需要(買い手)と供給(売り手)が集まり、価格を決めて取引が行われ、価格の変化に関心が寄せられ、空売買も行われていた。天野は江戸時代の「分業」の例として、真っ先に刀剣の製造をあげた。まず刀鍛冶(日本のartificer 武器職人)が刃を鍛え、次にその柄を作る者、その鞘を作る者、その鍔(つば)を作る者、これに漆を塗る者がいた。さらに駕籠(かご)や礼服の製造における分業は極めて細微にわたるとしたのであった。天野が少年時代を過ごした唐津藩は江戸時代の縮図のような藩とされ、特徴ある藩政が注目される。取引や関係する数字、分業を伴う生産工程、近世からの経済政策が注意深く観察されていれば、どこにおいても経済学が発生しうると考えてよいのではないか。アダム・スミスの『国富論』原典は天野独りでは難しすぎて読めなかったようで、英米の経済学者のスミス論を読むだけではなく英米に留学した人たちの解釈に耳を傾けていた。ロンドン大学で学んだ日野資秀は「営業革命の書」として、キリスト教の原理と歴史を学んだうえでシカゴ大学大学院で研鑽を積んだ田中王堂は「幸福追及の書」として捉えていた。西洋の研究者たちには「理論 theory」と「キリスト教神学 theology」を結び付けて捉える人々が多いことにも注意したい。
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