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2007-06-22 00:00
日米間ですら相互理解不足で問題が生じた
湯下博之
杏林大学客員教授
前回5月25日付の当政策掲示板への投稿にて、私は、日中関係についての私の経験を例に挙げて、国家間の相互理解の欠如の実態とその是正の必要について述べた。しかし、読者の中には、日中関係の例は特殊なケースなのではないかと考える向きもあるかも知れない。そこで、今回は、日米関係について私が経験した事例をとり上げてみたい。
私は、1971年6月から1973年8月まで、ワシントンの日本大使館に一等書記官として勤務した。ちょうど二つの「ニクソン・ショック」が発生した、いわば波瀾万丈の時期であったが、日米間で貿易収支の大幅な不均衡が問題として大きく取り上げられ始めた時期でもあった。この貿易収支の不均衡問題は、その後、単なる貿易の問題の範囲を超えて、安全保障の問題にまで響きかねない国家間の摩擦になったが、事柄がそこまでこじれた背景には、日米間で相互理解が十分でなかったという事情があった。
日米間の貿易収支は、1960年代半ばまでは、恒常的に米国の黒字、日本の赤字であったが、1960年代の半ば以降日本の黒字の年が多くなり、1970年代になると日本側の大幅な黒字が続くようになった。その背景として、米国経済がうまく行かなくなったという事情があり、米国政府としては、経済を建て直すため、状況の分析と対応策の検討を行ったが、その解明は簡単ではなかった。そのような中で、1971年8月には二つ目の「ニクソン・ショック」により、米ドルと金のリンクを断つ等の措置がとられた。当時の、そのような米国から見ると、突如として大幅な対米貿易黒字を生み始めた日本は、いわば水平線のかなたに、突然、入道雲の如くむくむくと現れた大入道のように見えた。何が何だかよく分らないまま、とにかく何か手を打たねばならない、といった感じであった。米国政府内では、ピーター・ピーターソン商務長官らがチャートを用いた分析を行い、その結果、日米間の貿易収支不均衡を改善しなければならないということになり、「早撃ちコナリー」と言われたジョン・コナリー財務長官らが先頭に立って、改善策としての要求を、いわば思いつくままに、矢継ぎ早に日本にぶつけるという格好になった。
ところが、日本側から見ると、日本は水平線のかなたに現れた大入道などではなく、まだまだ「ひよわな花」といった認識であった。したがって、強大な米国からの要求を弱者の立場からしのぐという対応になった。この「ひよわな花」の認識に加えて、日本政府の縦割り行政のためもあったかと思われるが、上記の米側からの要求は、日本側では、日米間の貿易収支大幅不均衡是正問題として、全体的立場から取り組まれることなく、米側から次々と出される要求が、個別案件の処理として取り上げられたように思う。しかしながら、そのような取り組み方を通じては、問題の解決は困難であった。と言うのは、もともと米側の要求そのものが、いわば思いつくままに次々となされたような印象を与える内容で、必ずしも適切な内容とは言い切れないようなものも排されなかった上、何よりも、米側の要求を容れれば貿易収支不均衡が消滅するといった包括的なものではなかったからである。また、日本側の対応も、個々の具体的な内容の要求が、その内容に応じて、担当省庁の担当局課の検討に付されたため、先ず否定的な反応が出、そのうちに、やむを得ずある程度は応じるといった対応が多かった。
その結果どういうことになったかは、紙数の関係で、次回(来月)にゆずる。
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