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2020-04-06 00:00
緊急事態宣言の後に何が起きる
尾形 宣夫
ジャーナリスト
コロナショックに後手後手続きだった安倍晋三首相が、ようやく緊急事態宣言を出すことになったようだ。
初動の遅れは今さら言っても詮無いことだが、何が安倍を逡巡させたのか…
官邸の不安をよそに、週明け6日の東京株式市場は前日比756円高で終わった。国民の強い催促にようやく応え、今後に期待しようというマーケットの気持ちの表れといっていいだろう。だが、問題はこれからだ。宣言だから法的な強制力はないが、未体験の宣言が国民の日常生活にどんな影響をもたらすか想像もできない。
既に露わになった経済的混乱が沈静化するはずもない。宣言の期間にもよるが、国民はかつてない不自由さに苛まれることは避けられない。1年延期となった東京五輪・パラリンピックは口端にも上らないだろう。プロ野球、大相撲だけではない。各種スポーツ競技はどうなるんだ。国民は何を楽しめばいいのか…。家にじっとして、テレビでも観ていろというのか。そのテレビ番組編成もできるのか。不安は尽きない。
今回のコロナショックの出だしは中国・武漢で起きた想定外の新型ウイルスの発症、感染、拡散ということだ。
武漢発の新型コロナウイルスに日本外務省はどれだけ脅威を感じただろうか。少なくとも日本政府が外交的に危機感を持って動き出したということは聞かない。
日中関係に少しでも役立てようと、禁じ手の「皇室利用」を考えたことは間違いない。
安倍が令和天皇にまず会わせたのが米国大統領のトランプだ。新天皇に会わせることが、米国の最大のスポーツイベント「スーパーボール」の百倍も価値があると吹聴しトランプの国賓来日を取り込んだ。
安倍が皇室の政治利用の2番手に思いついたのが海洋進出の勢いが止まらない中国を何とか「個人的」に懐柔しようとした国賓招待だった。
南沙諸島や南シナ海、インド洋でぎくしゃくする日中関係を少しでも改善しようと持ちかけた「国賓」招待に習近平が「ノー」というはずはない。話は安倍が前のめりになって歓迎準備が進んだが、これに冷や水をぶっかけたのが新型コロナウイルスである。
中国は周知のとおり共産党の1党独裁、毛沢東の再来を思わせるような習の強大な権力に地方政府の武漢が新型ウイルスの脅威を先行して対応できるはずはない。春節を控えた大都市武漢からウイルス感染が進むなかで大勢の市民が故郷などへと脱出し、一部は日本にもやってきた。
中国発の得体のしれないウイルスの怖さを知ってか知らでか、アベ政権が取った対策は「武漢に2週間程度いたことがある人」の来日をチェックする程度で、空港や港湾での水際対策は申し訳程度にすぎなかった。
すべては習主席の国賓訪日にケチがつかないようにとの、危機管理のイロハも知らない丸裸の疫病対策だった。それに始まる政権の後手後手の対応はいちいち上げるのも恥ずかしくなるほどだった。
結局、中国側が習主席の訪日を延期すると言明、日本はようやく中国からの観光客らの訪問に厳しいチェック態勢に踏み切ったのである。
外交的には全く機能不全のコロナ対応だった。
今回、緊急事態宣言を出すことになった内政的な事情を明確にしておかなければならない。
つまり第2次安倍政権発足以来の経済政策、つまり「アベノミクス」なるものが株価を押し上げた以外、国民生活面ではこれといった成果もない虚飾に満ちていたことは論を俟たない。そのアベノミクスは「第2ステージ」だとか、「道半ば」だとか散々言い訳を続けながらダッチロールを続けてきた。
このアベノミクスに対し厳しい識者は「アホノミクス」と切り捨てている。安倍政権にとって公文書改ざん、破棄はごく日常的だ。経済指標についても「アベノ」に差しさわりのあるようなデータはご法度だ。経済指標さえ政権に都合よく操作されてきたのである。
それが今回のコロナショックで無残にも素顔を現してしまった。
コロナ対策の専門家だけでなく、政府の諮問委員会でさえ「現状を放置することは最悪の事態を招く。早急な緊急事態宣言を」と促したが、官邸は「今はぎりぎりの段階…」と逃げてきた。「緊急宣言を出したら」どんな状況が現実のものとなるか想像することさえ憚ったわけである。
安倍が専門家や文科省にも諮らず唐突に「小中学校の一斉休校」を打ち出した後の大混乱などをはるかに超える社会的混乱を恐れたからである。
アベノミクスの時代錯誤な成長戦略に固執するあまり病理学、疫学的な危機を政治的判断で乗り越えようと、牛の涎の如き対応を続けてきたのが1強を誇る安倍官邸である。
もはや安倍に逃げ道はない。
自らの政治日程を最優先させたとしか言いようのないスケジュールどおりの新年度予算成立。この当初予算にはコロナ関連経費はビタ1文も入っていない。緊急経済対策で賄うと言っても、予算措置がなされるのは数カ月後である。安倍の得意なセリフである「国民の安全と安心を守る」「結果を出す政治」はどこに行ってしまったのか。
思い出すのは集団的自衛権行使の容認や安保法制審議の頃のスローガン、言い分である。
集団的自衛権問題では「不安そうな母子」を描いたパネルで、在外邦人の避難を確実に行うという紙芝居にでも出てきそうな記者会見だった。国民に不安感を抱かせる昭和的で情緒的な演出。
平時だからこそ不安感を持たせてわが政治的野望を通す。ところが、今回のコロナショックのような本当の国難に出遭うと何もできない。消費増税の延期を決めた時も「国難」と言って選挙に大勝した。「国難」とは政治的に極めて便利な言葉である。真の政治リーダーならば、国難などという言葉は安易に使えないはずだが、1強は平気でこの言葉を使った。ところが、今回は「国難」の「こ」の字も出てこない。
明日に予定される安倍の宣言、記者会見はどんな映像となって全国に世界に流されるのだろう。例によって安倍の「冒頭発言」を延々と聞かされ、その後で限られた時間で少しばかりの質問に答える程度の会見になるだろう。無制限とは言わない、2時間でも質疑応答をやってみたらどうか。政治家の言葉が信じられないような政治は終わりにしてもらいたい。
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