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2020-02-02 00:00
新型肺炎に関する中国の初期的対応
松本 修
国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
1 はじめに
世界保健機関(WHO)は2020年1月30日、昨年末から中国の湖北省武漢市で発症していた新型コロナウイルスによる肺炎の流行拡大について「国際的な公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。当の中国には苦い思い出があった。02年末から広東省で確認された「重症急性呼吸器症候群」(SARS)による非常事態に伴う混乱である。当時の胡錦涛政権は07年、その教訓に鑑みて「非常事態対処法」を制定・施行した。その後を受け継いだ習近平政権も、18年には国務院機構改革の一環として「応急管理部」を新設していた。しかし、今回の事態の推移をみると、十数年かけて作りあげたはずの中国の「危機管理」体制が有効に機能したとは思えない。その原因を考察したのが本論である。
2 SARS発生時と比較した中国の対応
(1)要人動向
前回SARS発生時同様、中国要人の対応は鈍かった。2002年当時の中国は、共産党大会でトップの総書記が江沢民から胡錦涛へ交代するという政権移行期にあり、新体制への批判や非難を恐れてWHOへの情報開示など対応は後手に回った。今回もトップの習近平国家主席が新型肺炎への対応を指示したのは、ミャンマー訪問から帰国した後の1月20日であった。「留守居役」になったナンバー2の李克強総理も事態を静観し、当面の対応を孫春蘭副総理(女性)に任すだけだった。しかし、感染者数の増加など事態の急展開に驚いた中国指導部が、党中央レベルへ対応を格上げして「疫情対応工作指導小組」を設置したのは旧正月初日の25日であったことから考えて、その情勢認識は甘く対応が遅かったと言って過言ではない。
(2)対応措置等
今回の新型肺炎が発生したのが、たとえ中国内陸部の湖北省省都の武漢市であったとしても、2019年末からの事態の進展は首都北京市の中央指導部へ報告されていた可能性がある。しかし、問題は報告の「窓口」(宛先)である。大規模災害等への対応を目的として国務院に新設されたはずの「応急管理部」の対応が全く確認されていない一方、一連の記者会見で情報開示等に対応したのは既存の衛生部を改編した「国家健康衛生委員会」と「外交部」であった。そして、発生源とされる武漢市を警察力で緊急封鎖したのは旧正月休暇直前の1月23日、事前に休暇入りして内外に人間が既に大量に移動した後の措置であった。また、人民解放軍の投入も遅く、既に旧正月休暇入りした多数の軍人が使えなかったことから、当初の対応は中国各地に点在する軍医大学の学生・教官が主体となった。こうしてみてくると、初動対応も遅すぎたのである。
3 今後の見通し
2月3日からは中国当局が延長した旧正月休暇が終了し、政治・経済・社会の各分野で通常の動きが始まる。来月の3月5日からは日本の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)会議が開幕し、ほぼ同時期に政策諮問機関である全国政治協商(政協)会議も開かれる。その代表者全体数千人が中国各地から首都北京市に集結するが、その中に紛れ込む可能性がある新型肺炎罹患者、これを報道する内外のメディア関係者、観光客及び北京市民の対応が注目される。その対応如何によっては、一部パニック状態が起こり中国の社会治安秩序は混乱する可能性があろう。
4 教訓等
我が国でも、25年前の1月に発生した「阪神淡路大震災」(1995年)や来年3月に発生10年を迎える「東日本大震災」(2011年)の後に、米国の「連邦緊急事態管理庁」(FEMA)をモデルにした政府機構改革を訴える論調が多数見受けられた。しかし、問題は新機構の設立ではない。たとえ新機構が作られても、十分な効果をあげるには長期間にわたる成果と経験の積み重ねが必要となる。既存の組織を活用して危機に備え、現実に危機に直面したら適時適切に対処していく。肝心なことは、大規模災害など危機の現場で「被害者、災害弱者を救おう」という人間の覚悟ではないかー本稿をまとめる真夜中に発生した小規模地震を体験してふと考えた。
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