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2020-01-31 00:00
(連載2)イギリスとイスラムとの不思議な関係
倉西 雅子
政治学者
短いながらもこの一文から当時の国際情勢の様々な知られざる一面を読み取ることができます。(1)メッカ、おそらく、当時メッカを支配していたのはオスマン帝国なので、イスラム教世界の最高権威者であるカリフには、直接的には統治権は及ばないとしても、海外諸国に対してスルタンの称号を与える権限があった、(2)当時の東南アジアにあってスルタンの称号獲得は、内外に対する国王の権威を高めた、(3)スルタン・アグンはオランダ東インド会社と激しく対立しており、それ故に、同国のライバルであったイギリス人(イギリス東インド会社?)に接近した、(4)イギリス(イギリス東インド会社)は、メッカとの間に人脈があった(ユダヤ系国際ネットワーク?)、(5)1641年はまさに清教徒革命の前夜に当たるので、東インド会社は、英国王から自立した‘独自外交’を展開していた可能性がある…などなど。
今後、精緻な検証を要するのでしょうが、同一文からは、17世紀中葉にあって、キリスト教諸国、ユダヤ人、そして、イスラム世界が複雑に絡まりあいながら歴史が展開しており、利害関係が一致した場合、時にしてこれら3者、もしくは、3者のうちの2者が協力関係にあった様子が伺えます。
イギリス東インド会社の得意技は貿易で得た潤沢な資金力で君主を篭絡させることにあったそうですので(後に、ジョサイア・チャイルドがその本領を発揮…)、推測されるのは、イギリス、あるいは、ユダヤ人脈を内包したイギリス東インド会社がオスマントルコ帝国に取り入り、オスマントルコ帝国は、その権威を以って東南アジア諸国にまでイスラムの威光を広げ(イギリスも同帝国の権威を利用…)、東南アジア諸国は、イスラムの権威を自らの統治の正当化に役立て、東インド会社もこれらの諸国で利権を獲得する、といったように(もっとも、同地域のイスラム諸国も、最終的には完全に植民地化されるのですが…)…。
イギリスのジョンソン首相は、オスマントルコ帝国宰相の血を引いているとされていますが、イギリスとイスラムとの関係は単純ではありません(13世紀にあって、ジョン王はイスラムへの改宗を試みましたし、その交渉にあたった当時の外交官にはユダヤ系、あるいは、イスラム系も存在したらしい…)。三つの宗教の関係は対立構図という固定概念からでは見えない部分にこそ光を当てるべきですし、グローバル時代と称される今日こそ、東インド会社の歴史に注目すべきかもしれないと思うのです。(おわり)
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