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2020-01-23 00:00
(連載2)非核保有国こそNPT体制の議論を
倉西 雅子
政治学者
NPT体制における核の傘の提供とは、率直に述べれば、その本質においては、近代における軍事大国の保護国化を想起させます。主権平等を原則とする今日の国民国家体系の原則とは相いれない性格を有しているといえましょう。保護する側と保護される側との間の権利と義務との非対称性は、両者の間に上下関係を構成します。また、核の傘の提供も永遠に保証されているわけでもありません。
とはいえ、NPTは不平等条約と批判されつつも、アメリカを中心国とする安全保障体制にあっては、日本が核の傘に守られているのに代表されるように、有効に機能してはいます。他方で、同じ核保有国でもアメリカとは異なり、中国やロシアは、他国に対して核の傘を提供する意思に乏しく、両国に密接な友好国にとっては“破れ傘”のような状況があります。例えば、北朝鮮が核開発に踏み切った理由の一つに、核の傘の不在があったとも指摘されています。現在、1961年に締結された中朝友好協力相互援助条約が更新されてはいますが(ソ中友好協力相互援助条約は既に失効…)、中国が‘核の傘’の提供を北朝鮮に約したかどうかは不明です(提供していないのでは…)。
NPTが発効した1970年当時と比較しましても、核保有国の核兵器数は増加の一途を辿っており(米ロが削減しても中国が増産…)、非核保有国との間の核戦力差は開くばかりであり、現状は、明らかに非核保有国にとりまして不利と言わざるを得ません。全体主義国の核の脅威に直面する中小の自由主義国が核に対して無防備なままであることが正義であると言い切れるのでしょうか。
このように、NPT体制が行き詰っている現状に見て見ぬふりをすることは無責任であって、危機を脱する知恵を生み出す自由な議論こそが求められています。自由主義国こそ核のタブーを排し、思考停止状態から脱してNPT体制を含む来るべき時代の国際秩序に関する根本的な議論を試みるべきなのではないでしょうか。(おわり)
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