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2020-01-16 00:00
J.N.ケインズの経済学研究法
池尾 愛子
早稲田大学教授
英ケンブリッジ大学のジョン・ネヴィル・ケインズ氏は『経済学の領域と方法』(1891年初版、1917年第4版)において、イギリス、ドイツ語圏、フランス、アメリカでの新しい研究動向を踏まえて、経済学の範囲と方法(数学利用、「経済人」の仮説を含む)を論じた。著者の豊富な読書量、明晰な思考、明快な文章、説得的な議論の前にして、読者は思考しながらもかなり説得されていったことであろう。ドイツ語圏では、ウィーン大学のカール・メンガー氏と、ベルリン大学の歴史学派グスタフ・シュモラー氏の間で、方法論争が繰り広げられていた。メンガー氏は限界効用理論に基礎をおいて経済学を展開していたが、数学を利用しなかったことであまりにも有名であった。ケインズ氏はA.マーシャル氏を師とし、経済学での数学利用に抵抗がないばかりか、フランスのクールノ氏が需要関数という関数を経済分析で利用したことを絶賛してそれを方法論的に詳論し、経済学における抽象的分析や数学利用を方法論的に決定的なものにしたといえそうだ。息子のジョン・メイナード・ケインズ氏は『一般理論』(1936年)において消費関数や投資関数・貯蓄関数を導入することになる。
『経済学の領域と方法』は英語圏においてだけではなく、日本でもよく読まれた。天野為之氏による最初の和訳は1897年に出版され、1年以内に増刷された。日本でも、イギリス経済学界の動向だけではなく、ドイツ語圏、フランス、アメリカでの新しい研究動向が伝わったのではないかと思う。第一次大戦後、東京商科大学(現一橋大学)がウィーンでカール・メンガー氏の蔵書を購入し、東京に着いたその蔵書の中に、福田徳三氏がクールノ氏の『富の理論の数学的原理に関する研究』(1838年)等を見つけて、中山伊知郎氏に数理経済学研究を勧めた。中山氏もケインズ氏の方法論を読んで、スイスにいたL.ワルラス氏の一般均衡論の性質を把握したことであろう。中山氏他の著作を読んで、安井琢磨氏が一般均衡論研究に乗り出した。
一方で、「安定分析や市場経済の不安定性の分析は、『見えざる手』を疑う研究である」という言い回しを聞くことがあった。他方で、フランス出身のG.ドゥブリュー氏の『価値の理論』(1959年)に関連して、「均衡の存在(existence)証明の研究は、神の存在証明につながる」という解釈を聞いたことがある。『価値の理論』はアメリカで、コウルズ委員会がシカゴ大学からイェール大学に移転し、ドゥブリュー氏がイェール大学に移籍してから仕上げられたコンパクトなモノグラフである。K.J.アロー氏との共同雑誌論文とは異なり、角谷静夫氏の不動点定理を駆使したおかげで、経済学作品らしく仕上げられた。
私は1995年にイェール大学を2度訪問し、角谷氏から「ドゥブリュー氏とよくランチを共にし、『価値の理論』に関する数学の話をしていた」ことを聴き、完成作品の口頭でのプレゼンと、舞台裏の数学作業のギャップに気づいて驚いた。角谷氏は1940-41年頃にプリンスントン大学でフォンノイマン氏の数学セミナーに出る前からゲーム論の論文を読んでいたほか、筆不精で返事を書かなかったが、二階堂副包氏が送付していた角谷定理を使った数理経済学論文を読んでいたのは確実だと思う。ドゥブリュー氏は公式に角谷氏に謝辞を述べることはなく、また経済学史家のロイ・ワイントラウプ氏によるインタビューでも、角谷氏の名前を出さなかったようなのは少し残念である。私は学生時代、二階堂氏の講義に出たのだが、ドゥブリュー氏の研究は取り上げられなかったと記憶するので、二階堂氏の研究と『価値の理論』の類似になかなか気づかなかったのだと思う。
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