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2019-11-13 00:00
(連載1)WTOでしか出来ないことがある
緒方 林太郎
元衆議院議員
さて、前回GATTについて詳らかにしたのは、今日の国際貿易の諸事を理解する大きな助けになるからだ。今回の流れでWTOの歴史と重要性についてお話する。発足後6回のラウンドを経て、GATTの果たした役割が大きいことは明らかだったが、一方でGATTのルールでは対応できない事柄も増え、充分とは言えない状況となっていた。それを踏まえて、かなり包括的な交渉分野を対象とするウルグアイ・ラウンドが昭和61年にスタートする。何故、ウルグアイ・ラウンドと言うかというと、交渉を開始した閣僚会合がウルグアイのプンタ・デル・エステで開催されたからである。こうやって歴史文書等に名前を残すというのは、その後も続き、WTO協定の正式名称は「世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(モロッコ)」、次のラウンド交渉は「ドーハ開発アジェンダ(カタール)」であった。日本が気候変動枠組み条約の京都議定書に名を残したのと同じである。
7年に亘る交渉を包括的に説明する能力は私には無い。簡単に言えば、モノの貿易のみならず、サービス貿易、知的財産権、紛争解決手続、検疫、企画、ライセンシング等、当時としては相当に幅広い分野を取り込んだ交渉だった。モノの貿易については、農業交渉が特別に取り出され、国内補助金や価格支持政策、輸出補助金について初めて取り上げられた。そして、正式な国際機関たるWTOを作る事も含まれていた。ケインズが夢見たITOの包括性や志の高さに比べると、まだまだ不十分なのかもしれないが、このWTOは「50年遅れてやってきたITO」と言えるのかもしれない。
前述の通り、GATTウルグアイ・ラウンドでは、農業分野だけを切り出した交渉が行われた。これ自体が画期的な事であった。取り組まれた事の中で特徴的なのは「例外なき関税化」と「補助金」である。1980年代、ともかく農産品貿易の状況は荒れていた。ECとアメリカは、関税以外の特殊な手法で国産農産品を保護するのみならず、補助金についてはジャブジャブで攻撃的な輸出戦略が採られた。アメリカは直接的には輸出補助金を出していなかったが、国内の補助金やローンは事実上輸出を促進する効果があった。
その中で出てきたのが、「例外なき関税化」という考え方である。これは何かというと、どんな特殊な保護の仕方をしていようとも、すべて関税での保護に転換しなさいというルールを意味する。ここで言う関税とは、●%(従価税)、●円/kg(従量税)というのが基本である。言い換えると、関税化とは簡素で分かり易い仕組みで保護するという事だと私は理解している。(つづく)
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