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2019-11-05 00:00
(連載1)「任命責任を問う」とはなにか
中村 仁
元全国紙記者
菅原経産相が地元事務所による贈答品の提供、秘書の香典持参などで、公職選挙法違反の疑惑を問われ、辞任しました。メロン、カニ、香典などの提供で閣僚ポストを棒に振るなんて、ばかばかしい。この程度の人物がなぜ閣僚になれたのか、有権者はあきれています。安倍首相は「任命責任は私にあり、国民に深くお詫びする」と、語りました。毎度の常套句です。野党は閣僚の首を取るのが最重要の仕事らしく、「首相の任命責任は重たい」(立憲民主党の福山幹事長)とし、首相を追及する構えです。災害、防災、異常気象の関係とか、本質的な問題は他にいくらでもあるのに、双方とも言葉遊びに明け暮れています。
最も本質的な問題は、「任命責任を問う」は曖昧、かつ実体のない概念ということです。「責任」とは「立場上、当然、負わなければならない任務、義務」です。「任命責任」とは、「そのポストにふさわしい人物を任命する責任」です。では何をもって「任命責任を問う」ことにするのか。
「任命責任」は定義できても、「任命責任を問う」となると、曖昧模糊としてきます。「任命責任」を果たせなかった場合、罰則があるわけではない。「国民にお詫びする」と、謝っていれば、やり過ごすことができます。首相もどんな責任を取るのか、言及しません。取るつもりもありません。ですから野党は「任命責任と問う」とは何かを、明確にしてかからないと、首相を責めようがない。明確にできないから、首相は閣僚の首が飛ぶたびに、「任命責任は私にある」と釈明を続ければ、野党もメディアも世論も、追及をあきらめてきたのです。
新聞も「任命責任を厳しく問う」と、主張していれば、言論機関としての役目を果たせているかのような自己満足に陥っています。朝日新聞は社説で「政権のおごりの帰結だ」として、「問題をうやむやにすることは許されない」「国会など公の場で徹底的に菅原氏を説明させよ」と、主張します。「任命責任を問う」はずの論点が、「菅原氏の疑惑追及を」にすり替わっています。(つづく)
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