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2019-10-31 00:00
(連載1)GATTを振り返る
緒方 林太郎
元衆議院議員
よく新聞等を読んでいると、「GATT」、「WTO」という言葉が出て来る。大半の方には「なんだ、そりゃ?」という気になるだろう。TPPや日欧EPAなど数多くの貿易や経済連携についてのニュースを見聞きするだろうが、GATTやWTOについて知っていることはそれらを深く理解する上で助けになるだろう。
まずGATTについてだが、元々は第二次世界大戦が終わろうとする昭和19年、アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズに主要国が集って、戦後の経済秩序について議論が始まった。
イギリスの経済学者ケインズが提唱したものは、GATTよりも幅広い形で貿易を規律するITO(国際貿易機関)の設立のみならず、貿易等の決済のために国際清算機関(ICU)や清算手段としての国際共通通貨バンコールの創設までをも含んでいた。アメリカ主導で、ITOを作るための交渉が開始されたがITO交渉は難航したため、ITO交渉の関税と貿易に関する部分だけを切り離した協定の交渉も行われ、こちらが先行して昭和22年末には妥結し、昭和23年から発効する。これが「関税と貿易に関する一般協定」、通称GATTと呼ばれるものである。
ただし、将来的にGATTはITOの一部として位置付けられるはずだったので、この時点では「暫定的適用」という位置付けであった。戦後の貿易体制を作るために、関税の引き下げを実現していく事の必要性が高かったため、この部分を急いだ事がよく分かる。つまり、GATTだけで長くやっていくつもりは無かったのである。ITO交渉は昭和23年3月には妥結する。キューバのハバナで採択されたのでハバナ憲章と呼ばれる条約として結実した。しかし、このハバナ憲章はあまりに包括的過ぎ、当時のトルーマン大統領は何度か議会での賛成を取り付けようとチャレンジしたのだが、最終的に昭和25年には断念する。(つづく)
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