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2019-09-29 00:00
(連載1)北京滞在11日間
池尾 愛子
早稲田大学教授
今月、北京に11日間滞在して、講演や講義を日本語で行った。2つの大学での公開講演のテーマは、「20世紀日本の経済学―国際化の歴史―」であった。「国際学術交流」の視点を入れてほしいとの注文も付き、私が研究してきたことを気持ちよく話すことができた。1920年代の国際金融経済会議、1960年代の欧州共同体(現欧州連合、EU)での関税撤廃を受けて展開したアジア太平洋地域での貿易・経済政策研究(アジア太平洋経済協力APECにつながる)、日本経済の発展についての国際共同研究(英語での成果発表)や日本経済に関する国際雑誌の創刊のほか、数学や統計学を利用した経済学の変化も盛り込んだ。公開講演になったおかげで、旧知の友人たちと10年ぶりに会えたり、新たな出会いがあったりで、様々な質問を受けることもできた。
大学院生向け講義(1回3時間、通訳なし)では、「行政指導」と「(日本的)経済計画(経済見通し)」を取り上げた。「行政指導」はもっぱら海外の研究者が主導して研究が進んだのであった(後述)。「経済計画」については、苦い思い出があった。1993年4月に北京で開催された東アジア国際学術会議(中国社会科学院経済研究所等組織)で、(1)「日本の貯蓄運動と金融制度の展開」と、(2)「日本の経済計画(所得倍増計画を含む)」に関する2つの論文を報告した。報告(1)は理解していただけた。しかし、報告(2)は通訳者が理解できなかったようで、日本語の「経済計画」が中国語で「計画経済」と訳され、私の報告は中国側の会議参加者には全く理解されなかった。
今回は、その経験を冒頭に紹介した。その上で、1960年の「所得倍増計画」以降、日本の経済計画では、計画の示す指標は政府部門については実行計画であるが、民間部門については誘導指標とみなすという二分法がとられたこと、政府は、以前のような物的統制や為替管理ではなく、財政金融政策や財政投融資による間接的手段を用いるべきで、民間企業活動の内部に直接に立ち入るべきではなく、民間企業の活動環境を整備しつつそれを好ましい方向に誘導することにより計画目標を実現することが望ましいとされたことを紹介した。加えて、日本は1950~60年代に世界銀行から融資を受けており、当時、一般的に、後進国が、外国からの資金援助を受け入れる時には、「健全で効率的な開発計画」が立てられていることが望まれていた事にも触れた。
欧米についても盛り込んだ。オランダが1945年に中央計画局を設立して、経済復興に乗り出しており、人口密度が高くかつ貿易依存度が高いという、日本と同様の事情を反映していた。他のヨーロッパ諸国でも、ヨーロッパ復興援助計画(マーシャル・プラン)を受け入れたときに、アメリカの援助をどのように利用して「自立可能な状態」にたどり着くかを示す整合的な5ヶ年計画を作成することが要請されていた。換言すれば、アメリカは自国では経済計画を作成したこともなく作成する意図もなかったのであるが、援助対象国には経済計画の作成を義務づけたのである。アメリカでは経済計画どころか、政府による経済過程への介入に対して極めて批判的であることも強調した。日本の経済計画作成は20世紀末で終了するが、経済学の専門用語を通じての議論、質疑応答では、(若い人たち相手ではあるが)中国語と日本語のギャップはほとんど感じられなくなっている。また、現在の経済財政諮問会議の委員構成には高い関心が示された。(つづく)
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