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2007-05-25 00:00
相互理解こそ国家関係の基本
湯下博之
杏林大学客員教授
私は、最近、興味深い経験をした。外国人研修・技能実習制度というものがある。アジア諸国から研修生として人材を受け入れ、1年間の研修の後、雇用契約を結んで2年間仕事をするという制度であるが、5月上旬にその人たちの日本語による弁論大会が東京で開催され、私も傍聴する機会を得た。日本で研修し、更に仕事をするためには、日本語を身につけることが重要であるのは当然で、上記弁論大会の参加者達は、研修や仕事の合い間に日本語を学んでおり、その結果もなかなかのものであったが、私はむしろ、彼らの日本語の力よりも、その発言内容に心を打たれた。
参加者は中国、フィリピン、ベトナムからの人達で、特に中国人が多かった。そして、中国人のうちの何人かの人達が語ったところによると、日本について中国で聞いていたことと実際に日本に来て見聞あるいは体験したこととが大きく異なっているということで、中国にいる時には日本についていろいろと悪い話を聞いていたが、事実はそうではなかったということを強調した。中には、いずれ中国に帰国した後は、中国にいる友人や知人達に正しい日本の姿を伝えたい、そうしないと日中関係のために良くない、という人もいた。
また、彼らは、当初は日本人とうまくコミュニケーションができず、職場でしかられたり注意されたりすると自分が非難されていると考えたが、次第に職場の何人かの人が自分に一生懸命に教えようとしていることが分かり、それ以後は人間関係が良くなったと異口同音に述べた。
以上の発言内容を聞いて、私は、約20年前に北京の日本大使館で公使をしていた時に感じたことを思い起こすとともに、相互理解こそが国家関係の基本であること、そして相互理解のためには国民レベルの根気のよい努力の継続が必要なことを、改めて痛感した。日本と中国とは一衣帯水の距離にあり、同文同種で、二千年の交流の歴史がある、とよく言われる。しかし、日本人も中国人もお互いに相手のことが良く分っていない。二千年間何をしていたのだろうと言いたくなるくらいである。
が、よく考えてみると、現在生きている日本人と中国人にとっては、無理もないことで、私の世代の人にとっては生まれた時は日中間は戦争中であり、その後しばらくは国交がなく、ようやく国交が正常化された後も、交流の仕方は「友好」とか「乾杯!」といった表面的な付き合いが多かった。これでは、相手のことが良くわからないのも無理はない。こういう状況では、とかく不正確な情報や先入観に基づいたイメージが先行したり、感情論が支配したりすることにもなり易い。
しかし、日中関係は相互にとって極めて重要な関係であり、このままでよい筈がない。経済関係等表面的には深めることが或る程度可能であっても、相互理解が欠如したままでは苦労の種が増えやすいのみならず、問題の回避や解決が極めて難しくなる。このことは日中間に限ったことではなく、私は次回以後他の国々についても具体例を挙げてみたいと考えているが、中国については双方で早急に対策を講じる必要があるというところまで来ており、冷静かつ真剣な共同作業を始めないと双方が馬鹿を見ることになろう。
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