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2007-05-18 00:00
連載投稿(3) 中国にとって「鑑とする」歴史とは
中兼和津次
青山学院大学教授
外部のものから見れば誠に奇異なことであるが、中国ではこれまで一度としてスターリンの悪行が徹底批判されることはなかった。いまでも田舎の学校に行くと、図書室にスターリンの肖像画がマルクス、レーニンと並んで飾られている。中国の友人に話すと「スターリンの7・3評価」つまり7分の功績に対して間違いは3分だという議論をする。まして毛沢東に対しては1981年の党の「歴史決議」が守られ、そこから一歩も進まない。つまり、彼は文革では重大な誤りを犯したが、その功績は誤りよりも大きい、功績第一、誤り第二だというのである。いわんや彼が1960年代に日本の社会党代表団に対して「(日本が中国を侵略したおかげで政権が取れたから)日本軍に感謝する」と語った有名な事実は公表されることはない。
袁偉時・中山大学教授は「近代化と中国の歴史教科書問題」を執筆し、公式史観によるアロー号事件や義和団事件評価の誤りを批判したことは知られている(詳しくは『中国の歴史教科書--『氷点』事件の記録と反省』(武吉次郎訳)日本僑報社、2006年参照)。しかし、これによって中国の歴史教科書は書き換えられることはなく、彼の論文を掲載した雑誌『氷点』が党の宣伝部に批判され、停刊処分に遭う始末である。こうした気骨のある歴史学者が中国国内にいることだけでも一服の清涼剤だが、彼のような学者こそ日中歴史共同研究に中国側一員として参加すべきではなかったろうか。
中国の指導者はつねに「歴史を鑑として」という。しかし、中国にとって「鑑とする」歴史は公式史観の歴史だけである。かつて毛沢東は「真理はどこから来るか?」と問い、真理は天から降ってくるものではなく、実践の中から生まれてくるといった。しかし、毛沢東時代、真理はまさに天(毛沢東)から降ってきた。同じように、現在中国でいう「正しい歴史認識」とは党中央宣伝部から降りてくるのである。(おわり)
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