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2019-05-09 00:00
権力の報道介入ーー沖縄2紙攻撃の政治的背景③
尾形 宣夫
ジャーナリスト
「魂の飢餓感」――埋め立て反対で法廷闘争
翁長は仲井真再選の選対本部長、自民党県連幹事長も務めた根っからの保守政治家だった。その翁長が辺野古移設に反対したのは、沖縄の民意がことごとく無視される「魂の飢餓感」をこれ以上放置できないと決意したからだ。
安倍が翁長に会ったのは知事就任から4カ月後の2015年4月。わずか30分。下旬に訪米、オバマ大統領との会談に備えた辺野古問題のアリバイ作りの演出だった。安倍との会談の下準備で沖縄入りした官房長官の菅義偉に、翁長は菅が再三使う「粛々と(移設作業を)進める」という言葉をとらえて「米軍政下に『自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウェイ高等弁務官の姿と重なる」と強い調子で批判した。翁長は安倍にも「新基地は絶対造らせない」と詰め寄ったが、安倍は普天間の危険性除去を紋切り型に語るだけだった。
辺野古埋め立て問題は、翁長が前知事の埋め立て承認を取り消し(2015年10月)で法廷闘争に突入。訴訟は「県の『取り消し』を国が『取り消し』」を求め、対する県が国の「執行停止」を求めるなど複雑な法廷闘争となった。最終的に最高裁が「国に従わない沖縄県知事は違法」とした福岡高裁の判断を認める判決を言い渡し、県の敗訴が決まった。
だが国の訴訟手続きは、国民の権利を守るはずの行政不服審査法を使って埋め立て事業を進める沖縄防衛局が、「私人」の形で監督庁の国交相に「知事の承認取り消しの審査請求」申し立てるという、国が私人を装う二つの顔を演じるなど異例づくめだった。権力が姿形を変える訴訟手続きだったが、沖縄のメディアだけがその異常さを批判するにとどまり、全国的な世論の反応は弱かった。
翁長の遺志を継ぐ玉城県政に対しても政権の強硬姿勢は変わらず、年の瀬も押し迫った12月14日、遂に工区の一部に土砂投入を開始した。まさしく地元メディアが言うとおりの「民意黙殺 越えた一線」だった。そして2月24日の県民投票の結果について安倍は「真摯(しんし)に受け止める」と言いながら、「先送りはできない」と翌日には埋め立てを続行、青い海に土砂が投入される無残な光景を国民は目の当たりにする。投票結果の民意を一顧だにしない、政権の「沖縄無視」が鮮明になったのである。
沖縄県民が見る「日本」はどんな存在なのか
1952(昭和27)年の4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効で日本は独立、沖縄は祖国から分断され米軍政下に置かれた。異民族統治が県民の「望郷の念」を膨らませ、軍政の暴虐に対する「人権」「自治」の権利を求める島ぐるみの強いうねりとなって表れる。
祖国への憧憬(しょうけい)が次第に「怒り」となった復帰闘争、そして対立・融和・不信が繰り返された国との関係が着地点を見いだせないまま漂流を続ける。だが政府主催の「主権回復の日」式典(2013年4月28日)は、「絵に描いたような」安倍政権の沖縄観だった。講和条約発効で日本が独立した日を祝おうというものだが、県民にとってこの日は祖国から切り離された「屈辱の日」である。無神経も甚だしい。式典は以後開かれていない。
事故多発で悪評の米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイの強行配備に反対する、沖縄の各界代表で構成するオール沖縄の陳情団の都内でのデモ行進に、日の丸を掲げた集団の罵声が浴びせられる。本土配備では、国は有力候補地の反対を力づくで押し切ろうとはしないが、沖縄は民意の大多数が「反対だ」と言っても通用しない現実を、地元メディアは個別に検証して国の不条理をついているのである。
安倍が「決める政治」と言って強行した特定秘密保護法、共謀罪法、集団的自衛権行使の容認、安保法制などは、日米同盟の要石を強いられる沖縄側から見ればすべてが「わが身に降りかかる問題」と地元メディア幹部は断じる。
「沖縄の現実」が見えない象徴的な事例は、沖縄国際大学に米海兵隊の大型ヘリが墜落炎上した事故(2004年8月13日)だ。夏休み中だったから大学側に幸い人的被害はなかったが、急行した米軍兵士が現場を閉鎖、沖縄県警の捜査陣は周りから眺めるだけで手も足も出ない。日米地位協定で「米国の財産」には手を出せないからだ。治外法権ぶりを住民たちも目の前で確認することになる。日米関係を象徴する現場の光景だった。
そのちょうど同じ時期、ギリシャのアテネ五輪が最高潮に達していた。本土各メディアは日本選手の連日のメダルラッシュに五輪一色だったから、事故に気付いた人はごくわずかだった。メディアが事故の重大さを本気で報じないのだから、国民は知りようがない。
報道の矜持
仙台市で開かれた昨年の第71回新聞大会は「政府における公文書の改ざん・隠ぺいは、事実に基づく議論によって成り立つ民主主義の根幹を揺るがした。正確で有用な情報を届け、真実を追究するジャーナリズムの役割はますます大きくなっている」と決議した。
とはいえ首相官邸では、官房長官会見を巡って内閣記者会と「問題意識の共有」で議論が続いている。特定の記者の質問を「事実に基づかない決め打ち」として、記者会に「問題意識の共有」を求めた。「問題意識の共有」は記者に官邸と同じ問題意識を持てということだ。「無難な報道は必要か」と歴史社会学者で慶応義塾大学教授の小熊英二は言う。
報道各社のトップ、編集幹部らが安倍と当たり前のように会食を続けている節度のなさ。米大統領トランプのフェークニュース攻撃に敢然と立ちあがった、全米の新聞社など450近い報道機関が昨年8月、社説で一斉に異議を唱え、報道の自由の必要性を訴えた。この日米のメディアの感覚の落差はいかんともしがたい。
報道の自由度が世界で72番目とされた日本報道機関が取り組むべきことは何か。「報道の自由」はお経ではない。念じていれば叶(かな)うものではない。報道は権力との戦いだという原点を忘れてはならない。(おわり)
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