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2019-05-08 00:00
権力の報道介入ーー沖縄2紙攻撃の政治的背景②
尾形 宣夫
ジャーナリスト
「沖縄」を語るとき、大事なのは時の中央政治の状況、政権がその中で沖縄をどう位置付けているのかを確かめることである。そしてメディアは、それをどう報じたのか。
沖縄の本土復帰後、政局は揺れに揺れた。施政権返還を花道に退陣した佐藤栄作首相以後を振り返ると▽列島改造ブーム▽日中国交回復▽ロッキード事件▽ダッカ日航ハイジャック事件▽バブル経済の発生・崩壊など、中曽根康弘に至る歴代内閣は国政を揺るがす重大案件に翻弄された。
その後の政権もスキャンダルで短命に終わり、政界は自民党の1党独裁体制が崩れて細川護煕の非自民連立政権(1993年)へと移行する。この間、政治の沖縄への関心がほとんどなかった。だが、94年6月発足した自民、社会、さきがけ3党連立の首班となった社会党(当時)の村山富市は基地問題と運命的な出遭いをする。村山は党是を引っ込め、安保堅持を打ち出す。米軍基地を継続的に強制使用する特措法改正でも揺れ続けて退陣、結局、橋本龍太郎政権が登場した。
1995年9月に起きた米海兵隊兵士による少女暴行事件は、海兵隊基地撤去を求める島ぐるみの抗議となり全国を巻き込んで燃え上がった。政治の表舞台から姿を消した「沖縄」が再び国政の最重要問題として登場、翌年の普天間飛行場全面返還の日米合意につながるが、普天間返還は県内移設を巡って迷走する。橋本は財政改革を巡る失政で退陣、問題は後継の小渕恵三に委ねられた。
「沖縄問題の空白化」が顕著になったのは、小渕の政治判断で決まった「沖縄サミット」(2000年)が開催された後である。普天間飛行場の代替施設建設構想(名護市辺野古沖、埋め立て方式の軍民共用空港、15年使用期限)の了承を取り付けてサミット開催を決めた小渕が急逝、代わって当時の自民党幹事長だった森喜朗が登場、サミットのホスト役を務める。
この森が就任直前、支持者らを前に「沖縄には『赤旗』以外に、同じような2つの放送局と新聞社がある。だから、サミットをやるのもなかなか大変だ」と語っている。いかにも森らしい言葉だが、15年後に自民党の勉強会で飛び出した発言を見ると、沖縄のメディアを蔑(さげす)む思考は少しも変わっていないということだ。
サミットが閉幕すると、政権は沖縄側との約束を無慈悲なまでに捨てた。訪米する有力閣僚らは「沖縄県が求めている」と他人事のように移設条件を米側に言うだけだ。逆に米軍の抑止力を評価、日米同盟の強化を確認する始末だった。結局、移設構想は反故(ほご)となり、移設場所、施設の態様を巡って地元との交渉がこれまでと同じように揺れ続ける。2006年、国の主導で辺野古岬をまたぐ「V字型滑走路」で最終合意するが、移設反対派の抵抗で計画は宙に浮いたままだった。それに決着を付けたのが2013年12月25日の安倍晋三と当時の沖縄県知事、仲井真弘多との年末の会談である。
仲井真は安倍が「基地負担軽減の努力」「普天間の5年以内の機能停止」「潤沢な振興予算の確保」を約束してくれたと評価して沖縄に戻った後、知事の権限である公有水面埋め立てを了承、正式に辺野古埋め立て計画の承認を表明、計画は動き出す。1996年の日米合意から17年だった。基地負担の軽減の目玉は、同年4月に合意した「嘉手納以南の返還」(1048㌶)。実現すれば嘉手納以南の米軍基地の7割が返還されるのだが5年後の今、返還が実現したのはわずか53㌶、「普天間の5年以内の機能停止」は絵空事だった。首相官邸の水面下の工作は周到だった。上京した仲井真は都内の病院に「検査入院」で身を潜める。そして安倍・仲井真会談が、水面下の工作の集大成となる。
「辺野古埋め立て承認へ」「沖縄知事 負担軽減を評価」の大見出しが走る。翌々日は「辺野古着手へ 沖縄知事、埋め立て承認」―――中央紙、地方紙を問わず、1面から社会面まで大きな活字が躍った。だが、これを伝える沖縄の地元紙2の紙面は、移設計画が急転することへの危機感に満ちた。社説は<粉飾に等しい「負担軽減」>(琉球新報26日付)と切り捨てた。仲井真の「承認表明」を受けた紙面は2紙とも26日の紙面にも増して民意の「怒り」で埋め尽くされた。<即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点>とし、仲井真の決断を「見苦しい猿芝居」「再び『捨て石』に」(琉球新報)と断じた。以後も連日、紙面は埋め立て容認を批判し、県民への裏切りの声が紹介された。
「辺野古移設反対」の民意は、政権の後押しで3選を目指した仲井真が前那覇市長の翁長雄志に惨敗する形で表れ、さらに翁長の急逝で登場した玉城デニーの知事選圧勝(2018年9月)で揺るぎないものとなった。そして安倍政権を袋小路に追い込んだのが今年2月24日の「辺野古埋め立ての是非を問う」県民投票だった。「埋め立反対」が投票票総数の7割を超え、名護市、宜野湾市でも反対がそれぞれ7割前後に達した。(つづく)
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