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2019-05-07 00:00
権力の報道介入ーー沖縄2紙攻撃の政治的背景①
尾形 宣夫
ジャーナリスト
今日ほど権力と報道の関係が問われる時代はない。政治のトップが「私にも報道の自由がある」とうそぶいてみたり、政権与党議員の勉強会で沖縄の地元紙を名指しで「偏向だ」と批判、挙句は広告収入を断って「(新聞社が)なくなった方がいい」と言う。そんな光景が新聞や電波を通して家庭に届く。加えて電波を管轄する閣僚が放送法を盾に報道内容に脅しをかける。2012年暮れに政権復帰した第2次安倍晋三内閣以降、政権のメディア介入が続くのはなぜか。同時並行的に異論を許さないヘイトスピーチが拡散する。この異常さにメディアはどう向き合うべきか。(文中敬称略)
2015年6月25日、東京・永田町の自民党本部で開かれた自民党若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」は、琉球新報と沖縄タイムスの報道を「左翼勢力に乗っ取られている」「タイムスと新報の牙城の中で沖縄世論の歪(ゆが)み方がある」などと批判、講師で元NHK経営委員の作家は「沖縄2紙は潰(つぶ)さないとあかん」と発言した。名指しされた沖縄2紙は猛反論、両紙の編集局長は日本記者クラブと日本外国特派員協会で記者会見し「言論弾圧は極めて危険」と訴えた。日本新聞協会と日本記者クラブ、外国特派員協会も異例の抗議声明を出した。当初「若い議員の勉強会、自由闊達な議論だ」と言って庇(かば)った首相の安倍晋三も「非常識な発言」と一転陳謝したが、これも当時の国会が安全保障関連法案審議で紛糾、先行きが心配になったからにすぎない。案の定、処分された当の議員は「(言ったことは)間違っていない」と少しも反省の色はない。まるで「学級崩壊」を見せられる思いである。
安倍政権下での首相と自民党の主な言動は①安倍が出演したTBSの番組で「街頭インタビューの映像が偏っている」(2014年11月18日)②自民党幹部の連名でNHKと在京民放5局に「選挙報道の『公平中立』を要請」(同11月20日)③自民党調査会が元官僚の評論家による「官邸からのバッシング発言」(テレビ朝日)とNHK特集番組の「やらせ」に対する事情聴取(2015年4月17日)などがある。NHKのやらせについては総務相の高市早苗(当時)が「放送法に抵触する」と厳重注意、さらに高市は政権批判を強めるニュース番組について「政治的公平でない放送局」に放送法に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した(2016年2月8、9日の衆院予算委員会)。自民党の1強多弱、安倍1強体制で政治の報道への遠慮なき介入が常態化してしまった。沖縄地元2紙を「つぶれた方がいい」などと公然と語られたのも、こんな状況下で飛び出した。
自民党議員による威圧発言は今に始まったことではない。国政の場で問題になっても選挙区では「わが先生」で、社会的にあまり批判されることはない。トップの機嫌を損じない限り、「少々のはみ出し発言」は許されるからだ。ネット時代の今日、発信力のある政治のメディア戦略が報道の権力監視機能を上回っている現実も指摘できるだろう。
権力を監視するメディアが機能してこその民主主義なのだが、この常識が通用しなくなっている。沖縄2紙の編集幹部は「沖縄の新聞は常に『誰のために何のために、何をどう書くか』という命題を突きつけられている」と自らが背負った責任を反芻(はんすう)しながら先を考える。沖縄の本土復帰前後の混沌とした光景を目の当たりにし、その後も沖縄をウォッチし続けてきた私は、沖縄2紙の報道を偏向とは思わない。特に近年の政治状況を見ていると、本土の中央紙こそ見習うべき点が多いのではないかとさえ思う。
現在言われている「偏向報道」は政権批判を許さないということだ。県土を焦土化した沖縄戦の体験。そして本土復帰から間もなく半世紀にもなろうとするが、いまだ変わらないどころか「安全保障環境の変化」を理由に抑止力としての基地機能強化が進む。基地に絡む相次ぐ事件・事故の現実を本土に住むわれわれのどれだけが知っているだろうか。「偏向報道」と烙印(らくいん)を押された沖縄2紙が敗戦後、米軍政下で本土紙とは比べられない抑圧の歩みを続け報道の灯を守って来たかを知れば、冗談や軽口で彼らを批判することはできないはずだ。どだい、沖縄2紙をどれだけ読んで物を言っているのか。沖縄の現実を、まずしっかりと見るのが先だ。2005年度の新聞協会賞を受賞した琉球新報の「沖縄戦新聞」を読むと、編集に関わった記者たちの想(おも)いが手に取るように伝わってくる。
沖縄戦新聞は、国策で日本中の新聞が戦意高揚の記事で紙面を埋め尽くされて住民を戦場へ駆り立てた、戦前、戦時中の報道の反省に立って、「負の歴史」を直視しながら戦争を知らない記者たちが「今の情報と視点」で編集した。戦後60年、有事法の成立、憲法9条改正の動きが蠢動(しゅんどう)、日本の平和観が議論される状況を見据えて企画は始まった。大本営発表ではなく「住民の視点」から報道する紙面づくりは幾度となく困難な壁にぶつかったという。企画に加わった記者たちは、廃墟の中から立ち上がり、軍政と対峙しながら住民とともに戦後を歩んできた先人記者たちの「魂」を守っているということだろう。
紙面は平和を追求する「真実報道」の執念が満ち、地元の言葉で言うなら「魂(マブイ)の闘い」だ。閉塞社会は弱いものを探し批判、こき下ろして自己満足する。沖縄に対するヘイト、批判はそうした社会状況が生み出しているという側面も否定できない。「公正中立報道」「客観報道」という伝統的なジャーナリズム論を逆手に取った批判は、異論を許さない同調圧力だろう。(つづく)
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