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2019-04-19 00:00
中国本土の権力と国家発展
真田 幸光
大学教員
私はこの2年ほどの中国本土の様子を見ていると、巷に言われている通り、「習近平国家主席兼総書記の権力掌握力は高まっている。」と見ています。そして、そうした結果として、当然のように、「核心」の称号を獲得し、「中国本土という国家の政権運営の中核者」に名実共になっているとも考えています。そして、その習近平政権は、ここまで、例えば、「一党独裁の下、多くの知識層を抱える社会科学院で様々な国家戦略を揉み、それを国家発展改革委員会などがモニタリングを掛けてブラッシュアップし選別、その上で、常務委員会が大局的見地から政策判断、どうしても議論が分かれる際には、国家主席の最終判断を尊重する。」といった形で、「国家運営を合理的かつ多角的視点から推進してきた。」と思われ、「こうした組織的運営を尊重する権力構造とその具体的運営が、ここ最近の、中国本土の国力拡大に、大いに貢献してきた。」と私は考えています。
しかし、ここにきて、その習近平国家主席が、「核心」の称号を背景に、「個人に対する権力集中を図っているのではないか?」との批判の声が聞かれるようになってきています。例えば、習近平国家主席の母校である、名門、清華大学の許・法学院教授は、昨年夏に、習近平国家主席が、国家主席の任期を撤廃したことや指導者を個人崇拝する動きを示しているとし、これを批判する論文をインターネット上に発表しました。習近平国家主席の権威の高まりと共に体制批判は厳しく管理されてきている中、共産党の独裁ではなく、個人の独裁への反発が、知識層から示されたことによって、「ある意味では中国本土の民主化の息吹」を私は感じました。そして、2005年に優秀な若手法学者として表彰された経験もある許氏の発表した「私たちの恐れと期待」と題した今回の論文を見ると、「憲法改正で“2期10年まで”だった国家主席任期が撤廃された点について、根拠のない『スーパー元首』を生み出すものであり、来年の全国人民代表大会で任期制を復活すべきである。個人崇拝するような風潮の高まりに対しては、直ちにやめなければならない。共産党メディアの『神づくり』は極限に達している。なぜこのような知的レベルの低いことが起きたのか、反省しなければならない。」との主旨のコメントが勇気を持って示されています。
私はこうした動きを見ると、中国本土にはある種の健全さが残っていると見ると共に、習近平国家主席自身も直ぐに個人崇拝的な動きをむしろ規制し、「個人独裁ではなく、一党独裁体制で、引き続き、国家運営を続ける方向に修正していること」に習近平国家主席の賢さを感じています。こうしたことから、習近平政権の内外に対する強さは暫く続くものとも見ています。
但し、一点、こうした国内政治とのバランスからか、私が見るところ、習近平国家主席は、「米国との覇権に関する勝負を早くに挑み過ぎた。」と思われ、このまま、米国を敵に回し続けると、これが習近平政権の長期存続の致命傷となるのではないかという点を指摘しておきたいと思います。
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