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2019-04-09 00:00
妥協しない社会
岡本 裕明
海外事業経営者
EUからの「英国離脱物語」は、「英国民残酷物語」と言い換えたくなるほど、政治家同士の悲惨なバトルが繰り広げられていますが、「なぜ、双方が歩み寄りを見せないのか」に興味が移っています。私が最近とみに思うのは、英国では、ほかに議会で審議可決する法案はないのかな、という点です。ほぼすべてのエネルギーが離脱問題に注ぎ込まれ、国政がどこに行ってしまったのかわからない状態になっています。古代ギリシャの哲学者であるプラトンやアリストテレス、ソクラテスらが主導した、弁論とディベートの考え方を、そのまま現代まで引きずっているからでしょうか?
先日、知り合いのカナダ人が、転職すべきかどうか悩んでいると言いました。理由は、クライアントの集合住宅の管理組合役員会で週に1回、ディベート・タイムがあり、暇な役員が同じ話題を延々と夜遅くまでディベートし、全く膠着状態になっているというのです。しかもディベートの終わりに、「では今日の討論はこのぐらいにしてまた次回、続けよう」と言うらしく、その知り合いは「決める気がない役員会で無為な時間を過ごしたくない」ということでした。では、日本はどうでしょうか?会議が多く、時間の無駄、非効率と叫ばれます。テレビニュースに出てくるような役人主体の〇〇審議会といった会議では、巨大なテーブルにずらりと人が並び、更にその後列に控えの人や実務管理者が座り、細かい点は後ろの人が囁いたりします。こんな会議でも、日本の場合は参加することに意義があり、ディベートはあまりないかと思います。私も時折、東京で大きめの会議に出たりするのですが、正直、方針はすでに決まっていて、それを説明し質疑を受けるというスタイルが多く、がっぷり四つでディベートすることはあまりないような気がします。それは「決めるための会議」であり、「賛同を得るためのプロセス」という感じすらあります。
政治の世界でも、基本的に与党の方針が主体となり、それに対して野党が委員会等での協議を通じて、その方針をどれだけ野党寄りにできるか、という点にほとんどの時間を割きます。その点、現在、英国で起きている議会の紛糾とは、国家としての方針が十分煮詰まる前に、相手方であるEUからの離脱案を作ってしまったことへの反発、ということでしょうか?メイ首相が、もっと早期に辞任するなど対策をとるべきだったのですが、今から辞任や首相選挙をして離脱期限の4月12日までに何かするのは、まず無理でありましょう。
妥協しない社会は英国だけではないと思います。私がある意味、戦々恐々としているのは、アメリカの次の大統領選挙であります。トランプ氏に対する好き嫌いは明白に分かれ、彼がどれだけ大統領としての功績を残し、スキャンダラスな問題を起こさなかったとしても、「生理的拒絶反応」を示す人はいるものです。特にリベラルな女性にその傾向が多く、妥協しない社会が再び生まれるのではないか、という気がしています。かつては折衷(英語で「コンプロマイズ」と言います)が物事の決定プロセスにあったと思いますが、極端な選択に人々が賛否でバトルする社会は、芯の強さの証なのか、我慢比べか、人間のエゴか、悩むところです。韓国でも、日本バッシングをするグループが気勢を上げていますが、戦後社会になってなぜ、今更そこまで引き戻された話で紛糾しなくてはいけないのか、実に理解に苦しむところであります。安倍首相がかの国との交渉で「未来志向」という言葉を使っていましたが、「現実に即した落としどころ」という発想がなくなってきたことは、社会の危機とすら感じるところであります。
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