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2007-05-15 00:00
留学生受け入れの意義を問い直そう
福嶋輝彦
桜美林大学国際学部教授
小笠原高雪氏の議論を受け継ぐ形で、留学生100万人計画について議論を進めてみたい。まず、今日それほど多くの留学生が日本にやってくるとすれば、それは何のためなのであろうか?古典的な考え方からすれば、第一に、多くの外国人留学生に日本社会を知ってもらい、日本の良き理解者になってもらう、第二に、多くの留学生との交流を通じて、日本国民の異国文化への理解を深める、といった点が挙げられるであろう。このような日本人的感覚からすれば、留学とはあくまで一時的に海外に学び、それを修了するや留学経験を生かすために母国に帰っていくもの、という先入観があっても不思議ではないし、実際に現行の留学生制度も建前とはいえ、そのような前提に立脚していると考えられる。
しかし、グローバル化の進む今日、世界各地に散らばっていく留学生が一番の目的とするのは、留学先の国で修得した学業を自分の国で生かすことよりは、受け入れ先ホスト社会での就業も視野に入れた、己の人生での成功であろう。逆に言えば、そのような成功を夢見させてくれるような受け入れ先でなければ、留学先としては魅力がないということになる。すると、政府が100万人という大きな数の留学生の受け入れを目標に設定して、その実現を図るということは、今後日本での就業を望む留学生が増加することが想定されていると言っていいであろう。裏を返せば、学業よりも求職・就業本位の留学生が増えるということである。
ここで、主たる留学生受け入れ機関である大学は、大きな問題を突きつけられることになる。少子化が進む日本の大学にとって、今後留学生はますます財源としての重要性を増すであろう。すると、大学側はなるべく多くの留学生を受け入れようとするであろう。その際、学業のハードルは否応なく下がらざるをえない。問題は、ハードルを下げるのをどこまで容認できるか、という点である。すでにオーストラリアでは、大学側はレベルの低下をきっぱりと否定してはいるものの、大卒留学生の3割以上が大学レベル最低限の英語能力を取得できていないという調査結果が出てきている。教室内でまともに英語での意思の疎通ができない留学生大学院生がいる、との声さえ寄せられている。
このまま留学生の数ばかりを目標に受け入れを増やそうとするのであれば、将来このような事態も想定、いや覚悟しておく必要があろう。その際、大学側としても最低限遵守するべき学業のレベルを明確に設定するなど、具体的対策を考えておくべきことは勿論である。ただし、筆者の経験に鑑みれば、一人のごく普通の留学生をまともに論文指導しようとすると、日本語が堪能な学生の数倍の時間がかかり、1回の面談に数時間を費やすことも珍しくない。ただし、こうして手間隙をかけて指導した留学生は、日本で学ぶ機会を得られたことに心から満足してくれる。しかし、一人の教員が引き受けられる留学生の数には限界がある以上、このような現実を踏まえたうえでの留学生100万人計画であってもらいたい。
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