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2018-12-11 00:00
(連載2)イエローベストに揺れるフランス
六辻 彰二
横浜市立大学講師
中道を自認するマクロン氏は、イデオロギー対立から距離を置き、ビジネスを活発化させることで停滞の打破を目指したのだが、これは一定の成果を収めてきた。海外直接投資(FDI)を含む投資が活発化して、2008年のリーマンショック後の最高水準に近づき、好調な企業業績を背景に失業率も低下した。今年7月の段階の調査で、企業経営者の54パーセントがマクロン大統領の活動に「満足している」と回答し、65パーセントが「改革が進んでいる」と回答している(「ザ・ローカル」フランス電子版、2018年8月29日付け)。しかし、経済が成長した一方で物価も高騰し、給与の上昇は相殺された。また、若年層の失業率は高いままで、とりわけ外資流入で活気づく大都市と地方の格差も鮮明となった。
そのうえ、実業家出身のマクロン氏のいかにもビジネスエリートらしい言動が目立ったことも、広く反感を招いた。例えば、「駅は面白いところだ」といい、その理由として「成功した者と、何でもない者に会えるから」(前者は彼自身のようなビジネスエリートを指し、後者はほとんどの一般の人を指すとみてよいだろう)。また、就職活動に苦労している若者に対しては、「どこでも働き口はあるはずだ」と言ったうえで「私なら、あの通りを渡るだけで、きっと君に仕事を見つけてやれる」。こうした発言は、マクロン氏の経歴からすれば正論かもしれない。しかし、いかなる意見も各自の立場から出るもので、誰もが認める正論などというものはない。少なくとも、マクロン氏のこれらの発言が多くの人に「強者の論理」と映っても不思議ではなく、これが党派や立場を超えたイエローベストを生む原動力になったといえる。
フランスでは革命後の1830年、当時新興勢力だった資本家(ブルジョワジー)に支えられてオルレアン公ルイ・フィリップが国王に即位し、王政が復活(七月王政)したが、そのもとでは資本家の利益が国策となった反面、一般の人々の生活が顧みられることはなかった。社会学の元祖とも呼ばれる当時の政治哲学者アレクシ・ド・トクヴィルは、「『ブルジョワジーの王』のもとで国家が『株主に利潤を配当する産業会社』に等しくなった」と指摘している。結局、ルイ・フィリップは1848年、都市住民や農民の幅広い抵抗によって退位せざるを得なくなった(二月革命)が、親ビジネス派としてのマクロン改革が右派と左派の垣根を超えたイエローベストのデモを引き起こしたことは、これを想起させる。今後、マクロン氏にとってあり得る選択は、ウィングを広げることだ。マクロン氏は中道・親ビジネス派に支持が厚いが、左右いずれかの勢力と接近することで、イエローベストを分断し、政権基盤を安定できる。ただし、それは容易でない。「小さな政府」を目指す以上、左派との相性はよくない。かといって、ドイツのメルケル首相の退任が決まっている状況で、マクロン氏は次世代のEUリーダー候補と目されているため、反EUを叫ぶ右派との協力も難しい。
同じことは、イエローベストに関してもいえる。フランスの著名な政治学者でパリ政治研究所のジェローム・セント・マリー博士は、右派と左派が連携するイエローベストの運動を、政治的な分断を超えた社会的な再統一の動きと評価する。だとすれば、マクロン大統領とは別の意味でイエローベストも「右派でも左派でもない」ことになる。とはいえ、右派と左派は反マクロンの一点で一致しているのであり、その協力が継続するかは疑わしい。イエローベストに全体を導くリーダーがおらず、ソーシャルメディアを通じて集まった寄り合い所帯であることは、政治勢力としての結束の弱さを意味する。「ブルジョワジーの王」を二月革命で打ち倒した各勢力は、その後内部分裂に陥り、この混乱が結局クーデタで権力を握った皇帝ナポレオン3世の登場を促した。最近でいえば、2011年の「アラブの春」の最中、エジプトでイスラーム主義者やリベラル派の連合デモ隊が、同国を30年に渡って支配したムバラク大統領を失脚に追い込んだ後、内部抗争が激化し、結局は軍のクーデタによって混乱が収束した。これらに鑑みれば、イデオロギーの違いを超えた結束は「共通の敵」を欠いた途端に崩れやすく、それは圧倒的な力によって初めて押さえ込まれがちといえる。だとすれば、フランスの混迷はいまだ始まったばかりなのかもしれない。(おわり)
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