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2018-10-18 00:00
(連載2)憲法9条1項における「国際紛争」
緒方 林太郎
元衆議院議員
また、この結果として、とても変な事が起きています。例えば、南スーダン関連での国連安保理決議ではよく「armed conflict」という言葉が使われています。通常は「武力紛争」という言葉が当てられています。しかし、どうもある時から南スーダンについては「武力衝突」という言葉が当てられるようになりました。「武力紛争」と訳してしまうと、PKO五原則との関係がややこしくなるからです。しかし、どういう時に「武力紛争」と訳し、どういう時に「武力衝突」と訳しているのか、という基準についてはついぞ示してはもらえませんでした。日本政府の政策目的によって、特定の言葉に別の意味を与えてしまうというのは恣意的と言われても仕方ないでしょう。
こういう事を書くと、「言葉遊び」だとよく言われるのですが、まず、「言葉遊び」をしているのは私ではありません。むしろ、PKOを何とか維持したいとする側が言葉遊びで論理の整合性を保とうとしているだけです。しかも、この件は上記に書いたように「明らかに激しい戦闘をしている勢力がいるにもかかわらず、その勢力はPKO法上は存在しない事になっている。そして、『戦闘行為』も起こっていない。」という事態を招きます。それは突き詰めれば、現場に派遣されている自衛官の安全に直結するのです。明らかに現地ではヤバい事になっているにもかかわらず、国内の議論では、武力紛争は無い、紛争当事者もいない、戦闘行為も無い、だから頑張れ、という事になっているというのは現場の自衛官の方からすると本意ではないはずです。
憲法上の「国際紛争」という、一見ニュートラルな言葉の解釈を突き詰めすぎたために、取り繕いに取り繕いを重ねざるを得ず、それが結果として現場と本国での議論との間に大きな乖離を生んでしまっているという事です。
9条1項については「当然、残す」という感じで議論が進んでいます。私もそれでいいと思います。ただ、その中の「国際紛争」という言葉が含意する所は解釈改憲で構わないので、何らかの修正を図った方が良いと思います。実はこの修正は、これまでの憲法解釈の体系をかなり変更する事になるため、憲法(の条文)改正と同じくらい大変です。どういうふうに考え方を変えた方が良いのかは、私自身もまだ、考え方が纏まらないのですが、論点提起として記します。(おわり)
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