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2018-10-01 00:00
(連載1)社会科学と哲学・人文学の境界
池尾 愛子
早稲田大学教授
プラグマティズム哲学者ジョン・デューイ(1859-1952)の日本人の教え子に、田中王堂(1867-1932、石橋湛山の先生)がいる。王堂は1889(明治22)年から8年間アメリカに滞在し、1893年9月にシカゴ大学に入学、翌1894年に同大学院に進学し、デューイの指導の下、博士号取得を目指して3年間研鑽に努めた。デューイの研究活動は、著作の出版時期を基準に3つに分けられている――初期(1882-1898)、中期(1899-1924)、後期(1925-1953)。王堂はシカゴ大学で初期デューイに研究指導を受けたあと、中期デューイの仕事にも目を通していたといえる。デューイは初期には宗教と心理学に関する論文を中心に発表していた。デューイは1904年にシカゴ大学を辞し、1905年にニューヨークのコロンビア大学に着任する。中期デューイが研究休暇中の1919年3~4月に来日し、王堂との再会もはたして、『哲学の改造』などと訳される講演を東京で行ったわけである(本e-論壇、2018年7月23日参照)。
王堂はアメリカでキリスト教の原理と歴史も勉強している。そして帰国後、デューイと同様に、宗教と心理学を含む論文や書籍を発表していた。王堂の哲学を追ってゆくと、J.S.ミルの功利主義のほか、道徳哲学の流れに位置づけられるアダム・スミスも射程に入ってきた。日本では「ドイツ哲学」が主流であったので「英語圏の哲学」はあまり研究されてこなかったのだろうか。しかし、西洋では正統なスミス研究の流れで、幸福経済学(happiness economics)につながってゆくものである。この流れの経済思想は日本でも研究されてゆくべきであり、私自身も取り組み始めている。
スミスは道徳哲学書『道徳感情論』(1759)の第1部第1篇の冒頭で、「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる」(村井章子・北川知子訳、以下同様)と始めて、共感や感情移入について説明した。幸福は西洋哲学の伝統にある大切な感覚である。スミスは第2部では、人間の社会性を強調し、「助け合いが愛情や感謝や友情や尊敬の気持ちから行われるなら、その社会は繁栄し幸福であろう」とした。彼は第3部第3章では、スミスは「他人の幸福や不幸が何らかの点で自分の行動に懸かっている場合には、利己心の命ずるがままに大勢の利害より自分の利害を優先する、といったことは敢えてしないものである」、「幸福とは、心の平穏と楽しみの中にある」と書いた。
スミスは『道徳感情論』(1759)では利己心にまつわる諸説について議論するにとどまっていたが、政治経済書『国富論』(1776)では、利己心は人々の幸福の増進に貢献すると確信するようになっていた。幸福の増進につながる可能性のある変化をもたらすのは、商工業者たちであった。スミスの政治経済学では、商工業者たちによる蓄積と競争が幸福の増進につながりうる変化をもたらし、農村の発展にも寄与するのであった。スミスは商工業の展開に大きな期待をよせていた――「商工業を担う都市が発展し、豊かになった」、「商工業が発達すれば、秩序と善政が徐々に確立し、それとともに個人が自由と安全を得られるようになる」(山岡洋一訳)。(つづく)
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