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2018-09-19 00:00
真のグローバル・ルールとは
倉西 雅子
政治学者
国境の完全なる撤廃を志向する自由貿易主義やグローバリズムの問題点は、多様性に富む現実にあっては、内外格差や規模のみを理由に淘汰される‘負け組’を犠牲にしながらその利益が国境を越えて偏在するところにあります。偏在と言うよりも、少数への集中と表現した方が、より現実を映し出しているかもしれません。こうした問題に対する対処としては、国家による国境の内外調整機能を認めつつ、より調和的な発展を目指す‘最適貿易主義’、あるいは、‘貿易調和主義’といった考え方もあり得るのですが、それでは、国際社会には、最早、共通ルール=グローバル・ルールというものは不要となるのでしょうか。
今日の世界貿易機関(WTO)の枠組みでは、加盟各国による自由化措置の義務的実施こそがルールですので、政府に内外調整権限の放棄を迫る一方で、企業に対しては、境界線のない自由な活動空間を提供しています。言い換えますと、‘自由を失う国家’と‘自由を獲得する企業’との組み合わせであり、秩序全体としての‘規律ある自由’は実現していないのです。そこで、この状況を改善しようとすれば、国家、並びに、個人の権利保護を根拠としたグローバル・ルールを制定してゆく必要があるように思えます。国家を対象としたグローバル・ルールとは、各国の政府が護るべき共通の行動規範や自国保護のために取り得る権利の設定を意味します。現行のルールは自由化一辺倒ですが、相手国の経済に対して深刻なマイナス影響を与えるような自由化については、一定の歯止めがかかります。主として通商条約の内容が対象となりますが、手法としては、具体的な行為を個別に列挙して禁じたり、主権的な権利として認める方法もあれば、一定の範囲を定めて保護的手段を容認するレンジ設定方式もあります。二国間であれ、多国間であれ、通商条約の締結に際しては、何れの国の政府も、大量失業や一部産業の壊滅など、他国の国民に甚大な被害が及ぶ条件を付すことはできなくなるのです。
一方、個人を対象としたグローバル・ルールとは、主として個人の生命や身体といった基本的権利を保護するために、主として企業を対象として設けられるものです(国際法によってグローバル・ルールが設定された場合、EU法のように直接効果を持たせるのは難しいので、各国は、国内法で同基準に合わせることに…)。現状では、‘ソーシャル・ダンピング’や‘環境ダンピング’と称されるように、より規制が緩い国に製造拠点の集中が起きるケースが後を絶ちません。中国が“世界の工場”と化した一因として、その規制の甘さも指摘されており、地球環境の悪化をもたらすと共に、人々の生活や健康を害する原因ともなってきました。国家間の規制レベル格差は、自由化=開放政策に伴う悪しき要素移動の要因でもあるのです。労働基準や環境基準のみならず、知的財産権のさらなる保護や製品や食品等の安全性もグローバル・ルール化の対象となりましょう。また、今日、グローバル市場を背景に登場してきた米中の巨大企業による‘支配的地位’を考慮すれば、競争法の分野にあっても、新たなグローバル・ルール造りが必要とされているとも言えます。
巧みな通商交渉に重点を置く‘最適貿易主義’、あるいは、‘貿易調和主義’にあっても、グローバル・ルールが否定されるわけではなく、むしろ、国際法秩序の基礎的な基盤があってこそ、各国とも安心して‘最適貿易主義’、あるいは、‘貿易調和主義’にもとづく国際通商体制に参加し得るようになるのかもしれません。この方向へと歩み出すには180度の発想の転換を要しますが、ここで一旦立ち止まり、固定概念を排して全人類に恵みと豊かさをもたらす道について改めて考えてみるのも、決して無駄なことではないように思えるのです。
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