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2007-04-30 00:00
憲法論議に自衛隊の国際貢献問題を含めよう
湯下博之
杏林大学客員教授
憲法改正論議が盛んである。その最大の焦点は憲法第9条の問題であるが、その内容は、かつてなされた自衛隊は合憲かという問題よりは、国際法上は認められている集団的自衛権の行使を憲法上も認めるべきかどうかという問題が中心になっているように思う。北朝鮮のミサイル及び核開発のわが国への脅威などを考えれば、それへの対応との関係で集団的自衛権の問題が先ず問題になることは十分理解できるが、憲法第9条の問題を考えるに当っては、併せて、国際的な平和維持のための国際貢献の問題についても、真剣に考えることが必要であると思う。
よく知られているように、1990年にイラクがクウェートに侵攻し、国連の安全保障理事会の撤退要求決議に従わず、経済制裁決議も効果を生じなかった後に、安保理決議に基いて1991年に行われた「湾岸戦争」で、約30か国が兵力を派遣し、ようやくイラクの撤兵が実現した。日本は、憲法との関係で派兵は行わなかったが、安保理決議に基く多国籍軍を支援するため、130億ドルという多額の拠出をした。ところが、戦争終了後にクウェートが支援国の名を列挙して感謝した新聞広告に日本の名はなく、派兵した国々だけが感謝の対象であった。
このことは、日本で大きな反響を呼び、国連平和維持活動(PKO)協力法の成立を経て、日本もPKO活動には参加するようになり、カンボジアや東ティモールなどで大きな貢献をするようになってはいる。しかしながら、このPKO活動も限定的なものであるのみならず、湾岸戦争のような形の国際的な平和維持活動には日本は依然として参加できない。
しかし、考えてみると、憲法はこのような活動を禁じているわけではないと思う。憲法第9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めているのであって、その意味は、日本と他国との間の紛争を解決するために戦争をしたり、武力による威嚇又は武力の行使をすることは永久に放棄する、ということであると思う。これは、国連憲章の規定とも合致するものである。
ところで、国際社会は国内社会とは違って、政府もなければ警察もない。国連憲章によって武力の行使は禁じられているが、それにもかかわらず違反者が出た場合は、安全保障理事会の決議に基いて各国が行動をとる以外には解決の方法はない。各国に求められる行動は、先ず経済制裁のような形をとるが、それでも効果が挙がらないときは兵力の派遣が必要となるというのが現実である。
その際に、日本だけは憲法の規定により兵力の派遣はできないということで、国際社会の一員として済むのであろうか。憲法第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と規定している。そうであれば、国際社会が、国連の安保理決議に基いて、兵力を提供し合って違反者に対抗し、平和を維持しようとするときには、これに協力することこそ憲法の精神に合致するのではないであろうか。憲法の制定時点では、そのような状況は予見されていなかったと思う。しかし、そのような状況が生じた場合に、そのような協力即ち国際社会の一員としての国際貢献を禁じる意図があったとは考えにくい。
二国間の紛争を解決するために、或いは国連安保理決議に基かないで、兵力を派遣することは勿論許されてはならない。しかし、国連安保理決議に基いて国際社会の一員としての応分の国際協力としての派兵をも憲法が禁じる趣旨であるとは考え難い。日本が国際社会で妥当な役割を果たし、正当な評価が得られることとなるよう、是非この問題についての国民的議論を喚起したい。
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