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2018-08-28 00:00
(連載2)「人材開国」は明治の開国とは全く違う
倉西 雅子
政治学者
‘モノ’、‘資本’、‘技術’、‘情報’などは基本的には非人格的な要素であり、比較的管理が容易ですが、‘人’とは、自由意思を持ち、かつ、自由な活動能力をも有していますので、前者のように管理することはできません。否、政府や雇用主が厳格な管理を試みようとすれば、人権侵害や人種差別行為として糾弾されかねないのです。言い換えますと、一旦入国を許せば、一個の独立した人格としてその権利と自由は尊重されなければなりませんので、仮に、経済目的であれ、来日した外国人労働者が、出身国の政治問題や社会的な要素を持ち込んだ場合について、政府は、これらを認めるのか、認めないのか、という重大な選択を迫られるのです。
‘外国人ファースト’を是とするマスメディアは、前者以外に道はないと主張したいようですが、出身国の政治や社会が日本国内に持ち込まれれば、先日のカンボジアでの選挙に際して在日カンボジア人が都内でデモを行ったように、出身国の様々な政治問題が日本国を舞台にして噴出するでしょうし、中国出身者に至っては、本国政府の指令に従って政治的な活動に従事する可能性もあります。
また、多文化共生主義の下では日本国の文化も相対化されると同時に多文化空間となり(政府は既に多言語化を推進…)、歴史も伝統も、そして、日本人ならではの美徳もその生命力を失ってゆくことでしょう。
日本国政府は、経済的な目的を以って事実上の‘移民政策’を正当化しようとしておりますが、上記の政治・社会的問題に対して、どのように対応するつもりなのでしょうか。安倍首相は、自民党の総裁選を前に、目下、三選目を目指しておりますが、一般国民からの支持を失っては元も子もないのではないでしょうか。「サイレント・インベージョン(静かなる侵略)」と非難されるようにもなり、諸外国で既に失敗の評価が下されている移民拡大政策を後追いするのはあまりにも愚かであり、「人材開国」の行く末が、政府による迂闊な‘開城’による自国の破滅であるならば、こうしたリスクに満ちた政策は、早々に断念した方が賢明であると思うのです。(おわり)
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