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2018-08-27 00:00
(連載1)「人材開国」は明治の開国とは全く違う
倉西 雅子
政治学者
安倍政権は、外国人労働者の受け入れ拡大に向けて準備を加速するよう指示したと報じられております。「人材開国」という野心的な表現も見受けられるようになりましたが、この開国、明治時代の成功体験を意識しているとすれば、それは、現代という時代を読み違えているのではないかと思うのです。
今般の「人材開国」は、外国人単純労働者にも門戸を広げるという意味において、過去に類例を見ません。明治時代の開国とは、通商条約の締結とそれに伴う外国との貿易の開始を意味しましたが、今般の「人材開国」は、‘モノ’でも‘資本’でもなく、‘人’が日本国内に大量に流入します。開く分野が違うのですから、江戸末から明治にかけての開国とは似て非なるものなのです。性質の違うものを恰も同じように扱うのは一種の‘印象操作’なのですが、‘人’とは、社会的、並びに、政治的な存在であり、かつ、人格を伴いますので、「人材開国」に伴う政治・社会的変化は明治の開国よりも深刻です。
明治期とは、日本国民が、西欧諸国の先進的な学問や技術のみならず、その風習や文物までも取り入れ、熱心に学ぼうとした時代です。鹿鳴館時代には諸外国からその物真似ぶりが揶揄されましたが、いわば、キャッチアップが至上命題であったこの時代、近代国家の一員となるために日本人自身が積極的に自らを変え、当時の‘国際スタンダード’に合わせようとしたのです。しかも、当時の通商条約では、主として経済活動を目的とした両国間の人の行き来は許しても、移民については自由な入国を許していません。当初は開港地に外国人居住区を設け、国内における外国人の自由移動さえ許さない程であったのですから(その後、外国人の移動制限は段階的に解除…)、近代化のプロセスにおいて国民の枠組が大きく崩れることはなかったのです(韓国併合時にあっても外地からの人の移動には制限はあった…)。大小の凡そ100藩から成るゆるい連合体の幕藩体制であった江戸時代と比較すれば、日本国民という国家への帰属意識、即ち、アイデンティティーと団結力は、むしろ強まったのではないでしょうか。
ところが、今般の「人材開国」とは、明治期の開国とは、全く異なる作用を国民に及ぼします。それは、国内に大量流入するのが‘人’であるからに他ならないのですが、国籍のみならず、言語、慣習、宗教、社会常識等が異なる様々な国々から‘人’が押し寄せてくるとしますと、日本国の政治や社会的枠組が崩壊するリスクは格段と高まります。(つづく)
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