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2007-04-25 00:00
EU官僚に学び、東アジア官僚の誕生を期待する
池尾愛子
早稲田大学教授
2007年3月で、現在の欧州連合(EU)につながる欧州経済共同体(EEC)が誕生してから50年が経った。ヨーロッパだけではなく、欧州委員会代表部がおかれている東京などでも祝典が催され、EUに対して存在感に加えて確実性も感じられた。今から5年ほど前のことになるが、2002年9月に、EU本部があるブリュッセルで、長年EECとEUのために働いてきて引退したばかりであったローレンス・ファン・ドゥポール氏から話をきく機会があった。EUの活動やその動機について、ぜひベルギー人から話を聴きたいとの希望を、友人のイヴォ・マエス氏(ベルギー中央銀行)に伝えておいたところ、マエス氏が紹介してくれたのがファン・ドゥポール氏であった。
首都にEU本部を招致するなど、ベルギー人たちの熱心な活動がなければ、現在に至るEUが存在したかどうかは定かではないと、私には思われた。しかし、ファン・ドゥポール氏はヨーロッパ人、元EU官僚として、私の疑問に答えてくれた。『戦争が終わっても、彼より上の世代の人たちには戦争が残した(以前の敵に対する)憎しみがあり、(東西に)分断されたヨーロッパにはつねに戦争の影がつきまとっていた。そして、戦争を起こさないというだけではなく、そうした陰のある事態を打開したいという強い想いによって動かされて、EUの拡大と深化の活動にかかわってきた。その際、上の世代に(政治的に)妥協させることが何よりも重要であった。』というのが、ファン・ドゥポール氏の回答の主旨であった。
2002年9月時点ではEU加盟国は15カ国であったが、2004年5月に25カ国に拡大することが既に決定されていて、新しい(巨大な)本部ビルの建設などが着々と進んでいた。正式の会議場には原則として加盟国の数だけの同時通訳のブースが据え付けられ、公式には多言語主義が貫かれている。2007年1月には、加盟国の数は27にまでふえたのであった。
2007年2月26日には、日本国際フォーラム等主催の第27回外交円卓懇談会において、駐日欧州委員会代表部大使のヒュー・リチャードソン氏の講演「拡大EUの挑戦」を聴く機会をえた。リチャードソン氏はファン・ドゥポール氏より若い世代でイギリス出身であるけれども、やはり戦争の影のなかで育ち、大学で法学士・法学修士をとってすぐに、欧州評議会や欧州委員会に勤務してきたのであった。リチャードソン氏も、ファン・ドゥポール氏と同様の動機で、国際官僚、EU官僚の道を歩んできたといえる。彼らは、EUは拡大と深化を続けると、異口同音にまるで自分たち自身に言い聞かせるかのように唱えながら活動を続けてきたようにもみえる。彼らは優秀なEU官僚であるとともに、献身的な公僕(public servant)であることも伝わってきた。
「東アジア共同体」実現のための必要条件はたくさんあるが、出身国籍を超えて東アジアのために献身的に活躍する「東アジア官僚」の誕生もその一つである。さらに「東アジア共同体」構築という目標に向かって、地域のための諸制度を作るとともに、各国国内の諸制度も地域制度に合わせて調整していく必要があるので、各国国内で活躍する官僚たちも国際化して協力する必要がある。日本では、2001年1月に中央省庁の制度的改革にあわせて内閣府が新設されたので、省庁にまたがった横の連絡がそれ以前に比べると取りやすくなったようである。いま少しだけいえば、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の締結をめざしてカウンターパートと交渉するときには、関係省庁がそれぞれ国際化してその上で『チームワーク』(!)を発揮することが期待される。「東アジア共同体」が民間人の自由な活動や交流を支えることをめざすとなれば、また少子高齢化がますます進む日本社会は東アジアから人を受け入れる機会が増えるはずであることを考慮するならば、人の移動に関する政策を担当する省を含めて国際化する必要があるといえる。官僚批判も時には必要であり、批判は期待の顕れなのである。
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