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2018-06-26 00:00
(連載2)欧米諸国と日本の児童虐待に関する刑罰の比較
六辻 彰二
横浜市立大学講師
これに対して、欧米諸国では死に至る前の段階から、虐待には厳しい刑罰が待っています。例えば米国ネバダ州では、特に性的虐待を含む深刻な虐待の場合、子どもが死亡していなくとも最高で終身刑となります。米国では虐待する親だけでなく、子どもを保護する役職の者の責任が問われることもあり、先述の死刑・終身刑の判決が下ったカリフォルニア州ロスアンゼルス上級裁判所の事例では、虐待を知りながら子どもを母親のもとに残したソーシャルワーカーの刑事責任も追及されました。イギリスでは、食事を与えない、必要な医療を受けさせないなど、子どもに「自分は無価値だ」と思わせるような扱いをする親に対して、検察官は最高10年の懲役を求刑できます。これらはいずれも、状況がエスカレートする前の段階から厳しい措置をとることで、児童虐待に歯止めをかけようとするものです。この点で、深刻な事態になって初めて対応する日本の法律と対照的といえるでしょう。
最悪の事態に至るまで厳罰がない日本の法律は、「子どもの養育や躾は親に決定権がある」、「家庭内のことは家庭内でおさめるべき」という考え方を強く反映しています。親の権利、つまり親権を重視し、家庭のことに第三者が口を出すことを拒絶する「家庭の不可侵」を強調する立場は、いわば伝統的な家族観に基づくものです。親権も家庭も、もちろん大事でしょう。ただし、日本の場合、これらの考え方が強すぎる傾向があるようにみえます。深刻な事態にならない限り、児童虐待に公的機関の介入が難しく、親だというだけで厳しい法的処罰が科されないことは、これを象徴します。それは結果的に、問題がある家庭であっても部外者の介入が拒絶されやすく、家庭のなかの個人、とりわけ最も弱い立場の子どもの声を外に届きにくくしています。言い換えると、親権や家庭の不可侵を強調する考え方が、子どもという個人の権利を守る法律を阻んでいるのです。
例えば、世界35ヵ国以上では、家庭で躾として子どもをぶつことも法的に禁止されています。ヨーロッパの多くの国はこれに当てはまり、米国の各州にはこれを明確に禁じる法律はないものの、公衆の面前でそういったことがあった場合、「身体的損傷」を理由に逮捕されることさえあります。これは、子どもといえども一人の人間で、親といえどもその権利を侵害することは許されない、という思想に基づきます。そのため、子どもの躾は身体的な苦痛などを与えない方法で行われるべきという考え方が広がっており、そちらの方が教育上むしろ効果的という報告は多数あります。教育学者ではないので、その効果については論じられませんが、ここで強調すべきは、親が子どもに手をあげることすら違法であることが、欧米諸国における児童虐待への厳しい法的措置と表裏一体であることです。逆に言えば、「親権」や「家庭の不可侵」を強調するあまり、親が子どもに手をあげることが大目に見られやすく、一部には学校の部活などでの体罰をも支持する親があることは、日本で児童虐待に対する厳しい刑罰を躊躇させる文化的背景になっているといえます。
日本では育児放棄や暴力など児童虐待は年々増加傾向にあり、厚生労働省によると2016年に児童相談所が対応した件数は12万2,578件にのぼります。また、親の虐待によって、2015年4月からの1年間だけで全国で52人が幼い命を落としました。この状況を抜け出すためには、子どもを理不尽な親から守るのに十分でない法律を改める必要があります。しかし、教育や躾という名のもとに子どもに手をあげることを容認してきた社会の考え方そのものに変化がなければ、体罰がなくならないのと同じく、法による児童虐待の規制が「絵に描いた餅」で終わることも容易に想像されるのです。(おわり)
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