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2018-06-18 00:00
日本国では民主主義が機能していない?
倉西 雅子
政治学者
「五つ星運動」や「同盟」等の政党が躍進したイタリアをはじめとした欧米諸国では、移民反対を掲げる政党の台頭が著しく、従来の左右対立の構図が一変しております。これらの政党については、日本のマスコミは、必ずと言ってよい程、ポピュリズム(大衆迎合主義)政党とする説明を付しており、民主主義を危険に晒す存在として批判的に報じています。しかしながら、先日、日本国政府が策定した外国人労働者の受け入れ政策に関する限り、国民一般に広く存在する移民反対派の受け皿となる政党が存在する米欧諸国の方が(もっとも、その背景については調べる必要がありますが…)、民主主義がまだ健全に機能しているように思えます。今般の政策は、単純労働者を含む外国人に対して日本国の労働市場を開放するわけですから、長期的には、経済分野を越えて日本社会全体を破壊するほどの影響をもたらします。多民族国家へと日本国民の構成が大きく変化することを意味し、台湾と朝鮮半島を外地としていた期間は別としても、古代より連綿と続く日本列島の歴史を見れば、最大の転換点と言っても過言ではありません。それにも拘わらず、自民党をはじめとした各政党とも、モリ・カケ問題には異常なまでの執着心を見せながら、より国民に身近で直接的な問題である移民政策については素知らぬ顔を決め込んでおり、政府も、国民にその是非を問うどころか、説明責任さえ果たそうとしていないのです。
加えて、マスメディアに登場する識者たちの見解も、その大半は、あたかも移民受け入れによる日本国の多民族国家化は‘既定路線’、もしく は、‘正しい路線’であるが如くに論じています。移民政策自体の賛否をめぐって生じている国民間の議論についても、これもまた無視を決め込んでいるのです。移民増加によって仮に問題が起きれば、‘悪い’のは、受け入れ態勢の整備を怠った日本国政府か、あるいは、歓迎しなかった日本国民と言わんばかりであると言えるでしょう。正義の仮面を被ることで、ちゃっかりと責任は他者に押し付けるとともに、移民政策に対する国民側からの批判や非難を封じているのです。
こうした政府やマスコミの傲慢不遜な態度は、批判を浴びている日大アメフト部の内田元監督と然して変わりはありません。‘勝つためには手段を選ばず’は、‘人口増加、あるいは、利益のためには手段を選ばず’であり、批判されれば、‘このぐらい当然のことでしょう’と嘯くか、‘移民増加によるリスクは知らなかった’としらを切るのでしょう。そして、その結果に対する責任を引き受ける覚悟もないのです。選手達が如何に酷い目に遭おうともお構いなしの思考も、日本国民を‘主権者’ではなく‘被支配者’としてしか見ない日本国政府やマスメディアの態度と共通しています。一般の日本国民は、まさに‘まな板の上の鯉’と見なされているのです。
戦略の世界では、‘攻撃は最大の防御’とも言われております。リベラルによる所謂‘ポピュリズム批判’とは、‘変革’という名のもとに破壊を容認するリベラリズムに内在する非民主的な思考の存在を隠し(民主主義とは、国際的には民族自決や内政不干渉を意味し、国内的には国家と国民との間に法的権利・義務関係が存在する国家において成立する価値…)、自らに対する批判を躱すための防御のための攻撃かもしれません。そして、日本国の政界を見渡してみますと、リベラル(破壊者)か、保守を装ったリベラル(破壊者)しか存在しないかのようです。自国の運命を国民自らで決めることこそ民主主義の本質であるならば、独断で国を開放した日本国政府の方針は、日本国民に対する背任であると共に、民主主義に対する悲しき裏切りなのではないでしょうか。日本国も、民主主義を具現化させることができる真の保守政党が必要とされる時期が訪れているように思えるのです。
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