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2018-06-02 00:00
(連載2)なぜ5月14日に米国はエルサレムで大使館を開設したか
六辻 彰二
横浜市立大学講師
これに加えて、ナクバは数多くのパレスチナ人が「流浪の民」になった日でもあります。イスラエル建国に反対した周辺諸国は、1948年に軍事介入。第一次中東戦争が始まりました。結果的にこの戦争でイスラエルは支配地域を拡げることに成功しました。独立宣言の段階で57パーセントだったイスラエルの支配地域は、第一次中東戦争が終わった段階で77パーセントにまで拡大していたのです。その一方で、この戦争で難民となったパレスチナ人の多くは、いまだに周辺諸国の難民キャンプやイスラエル支配地域などで不自由な生活を余儀なくされており、所得水準も低いままです。現在では、難民の三世、四世の世代も珍しくありません。
国際法上、難民には「帰還する権利」があります。ところが、第一次中東戦争で居住地を離れたパレスチナ人のほとんどは、イスラエル支配地域にある、もとの居住地に帰還できないままです。それはイスラエルが彼らを「難民」と認めていないからです。イスラエルの公式見解によると、第一次中東戦争の最中、侵攻していたアラブ諸国の部隊がパレスチナに、戦闘に巻き込まれないよう、居住地から立ち退くことを求めたといいます。この呼びかけに応じて、「戦闘が終われば帰れる」と信じた人々が「自発的に」居住地を離れたのだから、彼らは「難民」ではなく、空白地帯となった土地にイスラエル軍が侵攻したことも不法でない、とイスラエルは主張します。これに対して、アラブ諸国は「立ち退きを呼びかけていない」とイスラエルの主張を否定しており、「イスラエル兵が無差別の虐殺を行い、これを恐れたパレスチナ人が離れた後で土地を奪った」という立場です。混乱の中ですから、どちらの言い分が正しいかの検証は困難です。しかし、確かなことは、第一次中東戦争の結果、数多くのパレスチナ人が行き場をなくし、イスラエルの支配地域にある、もとの居住地に戻りたくても戻れないことです。
「国なき民」として迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国したことが、少なくとも結果的に、別の「国なき民」を生んだことは間違いなく、しかもその状態は現在進行形で続いているのであり、5月14日はこの「破局」を象徴する日なのです。こうしてみたとき、米国政府が5月14日にエルサレムで在イスラエル大使館を開設したことは、イスラエルの独立記念日に花を添えるものではあっても、イスラーム圏からみれば挑発以外の何物でもありません。ところが、米国政府は「現実を受け入れただけ」と強調し、イスラエルによるエルサレムの実効支配が続く現状を受け入れることが「現実的」だと主張したうえで、それでもイスラエル・パレスチナの和平を仲介する意思を示しています。この強気で傲慢ともいえる姿勢は、トランプ政権の真骨頂かもしれません。
ただし、それは「敵に塩を送る」ことにもなりかねません。パレスチナ問題は公式にはイスラーム世界全体で取り組むべき課題で、実際にはともかく、どの国もこれに消極的なそぶりを見せることすらできません。そのなかで、エルサレムへの大使館移設問題で、とりわけ米国を強く批判しているのは、パレスチナの武装組織ハマスを支援してきたトルコやイランなど米国と距離を置く国です。一方、イランへの敵意で米国と共通する同盟国サウジアラビアは、従来の方針を見直し、イスラエルとの関係改善を模索しています。サウジの実権を握るサルマン皇太子は、形式的にはイスラームの重要性を否定しませんが、実質的には国家主義者といえます。そのため、エルサレムへの大使館移設に関しても批判のトーンは抑え気味です。この状況は、イスラーム世界においてサウジの求心力を低下させ、トルコやイランの影響力を強めることにもなり得ます。すでにカタールやアラブ首長国連邦など、サウジの足場であるペルシャ湾岸の君主国家でもサウジへの離反の動きがみられるなか、エルサレムでの大使館開設により米国は自分の首を絞めることになりかねないのです。(おわり)
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