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2018-06-01 00:00
(連載1)なぜ5月14日に米国はエルサレムで大使館を開設したか
六辻 彰二
横浜市立大学講師
5月14日、米国の在イスラエル大使館がエルサレムで開設。これに対して、パレスチナ各地で抗議デモが発生し、イスラエル治安部隊の発砲により、ガザでは59名が死亡しました。これに対して、クウェートが国連安保理の緊急会合の開催を求めるなど、イスラーム諸国から批判が噴出。しかし、米国政府は「死者の増加はパレスチナ側に責任がある」とイスラエルを擁護しています。三宗教の聖地エルサレムは、ただでさえ宗派間の火種になりやすいものです。また、この街はイスラエルに実効支配されていますが、少なくともエルサレムの東半分をイスラエルのものと認める国際法的な根拠はありません。米国がエルサレムに在イスラエル大使館を移したことは、統一エルサレムをイスラエルが法的根拠なく支配することを認めるものです。
ただし、イスラーム圏から批判が噴出し、エルサレムで緊張が高まるのは、これだけに原因があるわけではありません。米国がエルサレムで在イスラエル大使館を開設したのが5月14日であったことは、イスラーム世界からみて「挑発」以外の何物でもありません。70年前の1948年5月14日、イスラエルは建国を宣言し、その翌15日はパレスチナ人にとって「ナクバ(破局)」の記念日になっているからです。パレスチナの土地をめぐる争いのなかで、米国は一貫してイスラエルを支持してきました。これはイスラーム世界の反米感情の根底にありますが、5月14日はこの対立を象徴する記念日でもあります。1948年5月14日、イスラエルは独立を宣言。古代ローマにこの地を追われ、世界に四散し、各地で迫害されたユダヤ人にとって、「国家を持つこと」は2000年の悲願でした。そのため、イスラエルにとって5月14日は、このうえない「慶賀の日」です。ただし、それはパレスチナ問題のもう一方の当事者パレスチナ人や、それと連なるイスラーム世界からすると「破局」に他なりませんでした。
パレスチナ人とは、ユダヤ人がこの地を空けていた2000年間にこの地に住み着いたアラブ人を指します。イスラエル建国にともない、約70万人が居住地を追われた5月15日は、パレスチナやイスラーム世界で「ナクバ(破局)」の記念日となっています。そのため、そもそも5月14日はイスラーム世界で反イスラエル感情だけでなく、反米感情が高まりやすい日なのです。中東の反米感情は、イスラエル建国のプロセスで増幅しました。1947年に国連総会では、パレスチナの土地を、もともとこの地に暮らしていたユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)の間で分割する決議が採択。この決議は、人口で31パーセントと少数派のユダヤ人に、パレスチナ全土の57パーセントを割り当てるものでした。
露骨にユダヤ人を優遇する決議は、イスラーム諸国を除く多くの国の支持を集めました。その背景には、ホロコーストなど第二次世界大戦での迫害の記憶が新しかったことや、戦時中ユダヤ人が連合国に協力したことなどがありました。ただし、この決議が可決した決定的な要因は、当時国連で絶大な影響力を持っていた米国がこの案を熱心に推したことでした。翌1948年に米国大統領選挙を控え、トルーマン政権が国内のユダヤ人の支持を集めたかったことは、「国際的なユダヤ人優遇」に結びついたといえます。それは裏を返すと、イスラエルの建国プロセスそのものを不公正と捉えるパレスチナ人やイスラーム世界にとって、ナクバが事実上「反米記念日」になりやすいことを意味します。(つづく)
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