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2018-04-20 00:00
(連載2)自由放任のネットテレビの公共性
中村 仁
元全国紙記者
ネット事業者が参入してくると、「テレビ番組の質の低下を招く」と、社説で警鐘を鳴らす新聞もあります。どうでしょう。民放の番組の質はすでに低下しており、この批判はあたりません。それより最大の問題点は、「政治的公平性」が柱になっている放送法第4条の削除です。政治は政権批判が厳しいと、「政治的公平性に欠ける」として、報道番組に介入してきたことが少なくなく、民放ばかりでなく、NHKとのあつれきもありました。規制緩和論者からは「4条がなくなれば、自由な政治的主張ができるようになるから喜ぶべきだ」との主張を聞きます。どうなのでしょうか。第4条の削除に対し、「政治的権力を持つ側が自分たちに有利な番組を作成して、視聴者に提供できるようにするのが狙い」、「政権批判ばかりしていると、ネット事業者の参入を促すぞ。政権批判をほどほどにしておけ」、「政権側は本気ではない。政治的な脅しに過ぎない」、「新聞、テレビも観ず、ネット依存の無党派層を取り込む」など、様々な見方ができます。とにかく、少なくとも「政治的公平性に欠けると言ってきた政権が、第4条を削除するなんて、明らかに政治的思惑が潜んでいる」と、考えるべきなのでしょう。もう一つ。規制を緩やかにするからといっても、電波には公共性があり、信頼性を低下させるわけにはいきません。
参入する事業者の考え方を知りたいですね。「公共性や信頼性とは何であり、どうやってその基準を決めるのか」という問題があります。参入してくる事業者には「ネットの世界に通用しない考え方だ。公共性や信頼性に欠ける事業者は視聴者から見放され、淘汰されていく原理、原則に任せるしかない」と片づけるのだとしたら、それは利害関係者が決めることではなく、利用者が決めることです。
ネットの世界は玉石混交で、だめなものは見放され、淘汰されるという原理に任せる。「利用者が公共性や信頼性を求めているのなら、そうした努力をしている事業者は生き残るはずだ」という考え方ですね。新聞には新聞法があるわけではないのに、信頼性を高める自己努力をしています。それでも記事のねつ造、誤報事件が起きます。その結果、淘汰されるかどうかは、読者の選択に任せる。新聞の場合はそれでいいのでしょう。
放送事業も同じ扱いをするしかないというのなら、それは事業者が決めるべきではありません。今回の方針を打ち出しているのは、政府の規制改革推進会議です。利害関係者が中心の集まりでしょう。広く国民の声を集めるべきです。(おわり)
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