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2018-04-12 00:00
(連載1)テレビは自由であるべきか
六辻 彰二
横浜市立大学講師
内閣府の規制改革推進本部は3月15日、テレビやラジオの「政治的公平」を定めた放送法第4条の撤廃を提案。その後、審議が続いています。2016年2月に高市早苗総務大臣(当時)が「政治的公平を欠く放送を繰り返した」とみなされる放送局への電波停止の可能性に言及したように、これまで政府は特にテレビが特定の立場から報道することに否定的でした。いきなり正反対の方針を打ち出した安倍首相は2月の国会審議で、アベマTVに出演した体験を踏まえて「視聴者には地上波と全く同じ」と発言。テレビとネットの融合を念頭に法制度を改革するなら、ネットにテレビ並みの規制をかけられない以上、テレビの方の規制を緩和するべき、という路線に転じました。その動機はともかく、「公平」という原則がなくなれば、意見が対立する問題で各局はこれまで以上に独自の立場で報道できます。それは「表現の自由」に沿ったものともいえます。
しかし、ネット上のヘイトスピーチやフェイクニュースの規制はグローバルな課題です。その水準に規制が引き下げられれば、テレビ報道が誹謗中傷とプロパガンダに満ちたものになる恐れすらあり、米国の事例からはその危険性を見出せます。今回の提案は放送事業と番組制作の分離による競争促進や外資の参入許可などを含みますが、これまで放送事業の規制緩和を支持してきた専門家からも困惑や疑問が続出。所管省庁である総務省も同様です。
ビジネスの観点はさておき、ここでは放送法第4条の「政治的公平」の見直しに焦点を絞ります。放送法第4条では、公序良俗に反しない、政治的公平、事実を曲げない、意見が対立している問題には多角的に伝える、などの原則が定められています。これを撤廃する論理としては、以下があり得ます。そもそも意見が対立する問題を、全ての立場から等しく距離を置いて報道することは極めて難しい。各局が実際に独自の論調で報道している(特に現政権に対して)。ならばいっそ事業者ごとに自由にさせ、あとは視聴者の選択に任せればよい。「公平」撤廃の論理は「視聴者の選択の自由」を強調します。これはネットで好きな情報を選び取ることに慣れた現代人にとって分かりやすいものかもしれません。
実際、人間には国籍、年齢、職業、所得など必ず何らかの立場や属性があり、言葉通りの意味での「公平で客観的な視点」はほぼ不可能です(社会学ではこれを存在拘束性と呼ぶ)。そのため、あらゆる報道には多かれ少なかれ偏向(バイアス)があり、これを緩和させるなら複数の見方や確実な証拠を示し、論理的に矛盾なく伝えるしかありません。しかし、特にテレビ、ラジオは他のメディアと比べて「時間の制約」が大きく、複数の見解や情報源を省略したよりコンパクトなメッセージになりがちです。実際、「公平」で定評のある英国BBCでさえ「EU離脱問題をめぐる論調が偏っている」と与党議員から批判され、対応に苦慮しています。「公平」が有名無実化しやすい状況で、「だったらいっそなくして視聴者の判断に任せればいい」という主張は明快ともいえます。とはいえ、「自由な報道」がよい結果を生むとは限りません。(つづく)
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