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2018-03-30 00:00
北京での招聘講義
池尾 愛子
早稲田大学教授
私は3月27-29日に北京に出張し、28日に「有沢広巳の経済政策観」という題で講義を一コマ行った。有沢広巳氏(1896-1988)はマルクス経済学者で、現代資本主義について幅広く研究を推進してきた人である。有沢氏が関わった「傾斜生産方式」(戦後日本経済の再建策の一つ)や、彼の原子力発電推進者としての活動について、私が書いた経験があったので、今少し幅を広げて少人数のセミナーで報告してほしいとの依頼を受けたのである。有沢氏について書いたことはあっても、話すことは初めてであったので、私はかなり神経を使った。それで結果的にわかったことは、講義依頼者と私の間で、有沢氏の経済政策観について大きな認識ギャップがあったことである。依頼者は、有沢氏が中国の改革開放政策を支持して実現に努力してくれたと考えていたのであるが、私はそれを知らず全く触れなかったのである。
私が今回新たに調べたのは、社会主義政策研究会編『社会主義日本の設計』(1960年2月刊行)であった。1958年に日本フェビアン研究所(代表幹事有沢広巳氏)主催の研究討論会が開催され、1959年に「社会主義政策研究会」に改称して、「『社会主義の日本実現のための政策』という見地からの具体的な研究や討論」が重ねられていた。この本の第1章「現代日本資本主義の特質」(有沢広巳氏)、第2章「社会主義政権の課題と準備」(高橋正雄氏)を中心に紹介した。これをめぐって活発な討論が展開し、こうした学術交流に意義があることがすぐに感じられた。
有沢氏が1979年の改革開放政策の実現に関わったのであれば、有沢氏自身、1958-60年頃に考えていたことから、1970年代後半にかけて、大きく考えを変えたことになる。上の本では、有沢氏は「技術革新の時代は、1950年代の生産力の発展を盛り上げてきたが、もう峠に来ているのではないか」と予想していた。しかし、その後も技術革新は続き、有沢氏自身、とくにエネルギー分野での目覚ましい技術革新を海外視察や原子力関係の委員会で確認してゆくことになる。
有沢氏は中国の改革開放推進者として活躍したのであろうか。有沢氏および上の高橋氏の蔵書は、中国社会科学院日本研究所に寄贈されていて、それぞれの文庫としてまとめて書庫に置かれている(私の今回の訪問でも確認した)。1970年代以降の有沢氏について研究する際には、まず北京に行かなくてはならないのであろう。2016年5月6-7日に本e‐論壇に「国連と越境企業研究」と題して書いたように、開国開放後、中国は外国の資本と技術にも扉を開け、当時ニューヨークの国連本部にあった越境企業センター(1993年に国連貿易開発会議に移管)から技術的助言を受けていた。有沢氏は中国の政策に大きな変化をもたらした一人であったといえるのかどうか、今後の研究が待たれる次第である。
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